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          <dc:title>Fish Eating Civilization and Meat Eating Civilization</dc:title>
          <dc:title>魚食の文明・肉食の文明</dc:title>
          <dc:creator>安田, 喜憲</dc:creator>
          <dc:creator>19497</dc:creator>
          <dc:subject>稲作漁撈文明</dc:subject>
          <dc:subject>畑作牧畜文明</dc:subject>
          <dc:subject>魚</dc:subject>
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          <dc:subject>森</dc:subject>
          <dc:subject>モンスーンアジア</dc:subject>
          <dc:subject>西アジア</dc:subject>
          <dc:description>食物の獲得は気候に左右される。ある人々の集団が何を食物とするかは、その人々が居住する土地の気候により決まる。例えば、アジアのモンスーン地域では、年間平均二〇〇〇ミリを超える降雨量は夏季に集中する。このような気候に適する穀物は米である。また豊かな水量は、河川での漁業を盛んにし、流域の人々にタンパク源を供給することを意味する。こうしてアジア・モンスーン地域の稲作漁撈民は、米と魚を食料とする生活様式を確立してきたのである。
　しかしこうした生活様式は、年間平均雨量が少なく、主に冬季に降雨が集中する西アジアの住民には受け入れられない。この型の気候では、小麦が主たる穀物となるのである。しかも河川での漁獲量は少なく、人々は羊、ヤギを飼育して、その肉をもってタンパク源とする畑作牧畜民のライフスタイルをとらざるをえない。
　この美しい地球上で、人類は気候に適した穀物の収穫を増大させることにより、豊かな生活が送れるように努力を重ねてきた。しかしこうした努力は、異なる文明間で、明らかに対照的な結果を生み出してしまったのだ。ある文明は、森林に対して回復し難い破壊をもたらした一方、またある文明は、森林や水循環系を持続可能の状態に維持することに成功している。
　イスラエルからメソポタミアにかけてのベルト地帯は、文明発祥の地とされている。その文明は、小麦の栽培と牧畜により維持された畑作牧畜民の文明であった。この地帯は、今から一万年前ごろまでは深い森林に覆われていたが、間断なく、広範囲にわたる破壊を受けて、今から五〇〇〇年前までに、ほとんどが消滅した。主に家畜たちが森林を食い尽してしまった。
　ギリシア文明最盛期の頃、ギリシアも深い森林に覆われていた。有名なデルフォイの神殿は建設当時森の中にあったのだ。しかし森林環境の破壊は、河川から海に流入する栄養素の枯渇の原因となり、プランクトンの減少により魚は餌を奪われ、地中海は“死の海”と化したのである。
　一二世紀以後、文明の中心はヨーロッパに移動し、中世の大規模な土地開墾が始まって、多くの森林は急速に耕地化されてしまった。一七世紀までに、イングランド、ドイツ、そしてスイスにおける森林の破壊は七〇％以上に達した。今日、ヨーロッパに見られる森林のほとんどは、一八世紀以後の植林事業の所産である。
　この森林破壊に加えて、一七世紀に生じた小氷河期の寒冷気候とともにペストが大流行し、ヨーロッパは食糧危機に陥った。人々はアメリカへの移住を余儀なくされ、続く三〇年の間に、アメリカの森林の八〇％が失われた。一八四〇年代、ヨーロッパ人はニュージーランドに達し、ここでも森林は急速に姿を消した。一八八〇年から一九〇〇年のわずか二〇年の短期間にニュージーランドの森林の四〇％が破壊されたのである。
　同じような状況は、畑作牧畜民が居住する中国北東部（満州平野）でも見られる。明朝の時代（一三六八～一六四四年）、満州平野は森林に覆われていたが、清朝（一六四四～一九一二年）発足後、北東中国平原の急激な開発とともに森林は全く姿を消してしまった。
　これに対し稲作漁撈民は、これまで常に慈悲の心をもって永きにわたり、生きとし生ける物すべてに思いやりの心、善隣の気持ちを示してきたのである。私はこの稲作漁撈文明のエートスでる慈悲の精神こそが、将来にわたってこの地球を救うことになると本稿で指摘する。</dc:description>
          <dc:description>departmental bulletin paper</dc:description>
          <dc:publisher>国際日本文化研究センター</dc:publisher>
          <dc:date>2007-05-21</dc:date>
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          <dc:identifier>日本研究</dc:identifier>
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