@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:02000022, author = {尾﨑, 真理}, journal = {日本研究, NIHON KENKYŪ}, month = {Sep}, note = {本稿は、近世期の百姓役である夫役人足の使役・管理体制の解明を目的とする。  人足動員については、従来役論の観点から研究が進展した。特に1970年代に高木昭作氏が国家的な課役体系を通じて諸身分が編成されたことを指摘して以降、川除普請や日光社参、助郷などにおける役賦課体系が盛んに追究された。また人足の供給源についても主に都市社会研究の中で解明が進んだ。吉田伸之氏は人足の供給源が主として都市下層民ら「日用」層であり、彼らによるあばれ、がさつ、ねだりなどが問題化していた点を明らかにしている。  一方、徴発後、人足を就労場所において労働に従事させる必要があるが、人足の使役・管理体制については内戦期も含めて研究史上あまり関心が払われていない。長州戦争時の物資調達・夫役動員体制を検討した久留島浩氏をはじめ、従来の研究では人足の徴発体制における中間層の機能に関心が向けられ、徴発された人足を現地でいかに管理・統制するかという点についてはほとんど触れられていない。  しかし、現地では人足による問題行動がおきており、幕府の戦闘準備の遂行はもちろん、管轄地域の負担増加を回避するためにも、国元の中間層に加え、戦地に出張していた幕府役人による人足の管理・統制が必要であった。この一役を担ったのが、人足に同行した代官役所の手附・手代であった。  そこで本稿では、大坂鈴木町代官役所手代として長州戦争時に人足の取締にあたった三杦泰次郎の従軍日記等の分析から、①人足を使役する上での構造的問題を明らかにするとともに、②出張した幕府役人による管理・統制機能について考察し、近世期における夫役人足の管理システムを解明する。特に人足管理の中心を担った手代の機能について検討することで、本研究は近世後期における幕領支配機構の解明にも寄与するものと考える。最後に、幕末期の人足徴発における軍事体制上の矛盾を指摘し、人足動員の問題から近世社会の解体過程の一端を展望する。}, pages = {77--107}, title = {<研究論文>幕末期畿内幕領における夫役人足の管理・使役体制 : 長州戦争時の手代に着目して}, volume = {67}, year = {2023} }