@book{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:02000220, author = {小林, 奈央子}, note = {岐阜県と長野県にまたがる木曽御嶽(3,067m)は,古くから信仰の対象となってきた。江戸時代後期になると,尾張国の覚明(1719–1786),武蔵国の普寛(1731–1801)という2人の行者によって大衆開放され,2人の出身地である中部と関東では,木曽御嶽に信仰登拝する御嶽講が多く組織された。各御嶽講では,普寛が創出した「御座立て」と呼ばれる巫術によって,神仏のみならず,「霊神」として祀られた亡くなった行者や信者の御霊を降臨させ,託宣を聞く。そうした霊神の依り代となるのが霊神碑であり,木曽御嶽山内には約3万基あるとされる。霊神碑を山内に建立するのは,普寛やその弟子の一心などによる「死後御嶽信者の魂は御山(木曽御嶽)へ行く」という信仰にもとづいている。}, publisher = {国際日本文化研究センター, International Research Center for Japanese Studies}, title = {<第2部 地質・資源の文化と思想>死後魂は御山へ行く:木曽御嶽と霊神信仰} }