@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000434, author = {横山, 篤夫}, journal = {日本研究}, month = {Mar}, note = {日露戦争後、日本軍は日本軍戦没者の遺骨を納めるための納骨祠を、中国東北地方(以下「満州」)南部に五基建設した。  満州事変と日本の傀儡政権「満州国」を建設・運営する過程で死亡した日本軍戦没者の遺骨を納めるため、日本軍は「満州」中央と西部に五基の忠霊塔を建設した。  その後日中戦争によって多数の戦没者が生じると、その遺骨を納める忠霊塔を北京、上海、張家口に建設した。  日本軍が中国に建設した十三基の忠霊塔は、巨大な塔状の建設物であり、日本軍戦没者の遺骨を納めた点では共通している。しかし、作られ方や期待された役割はかなり異なっていた。  アジア太平洋戦争が終わると、忠霊塔は中国人によって破壊され、かつての姿をとどめているものはない。残された記録や記憶・遺跡から、かつての姿と果たした役割を明らかにしたい。}, pages = {57--116}, title = {日本軍が中国に建設した十三基の忠霊塔}, volume = {49}, year = {2014} }