@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000442, author = {張, 鈴}, journal = {日本研究}, month = {Sep}, note = {小論は大正初期の第一高等学校における「読書による自己形成」、すなわち教養の成立を、修養、煩悶青年および個人主義の受容との関係を見直した上で再考してみた。具体的には教養主義者と呼ばれる谷川徹三(一八九五~一九八九年)の修養に勉めた中学校時代、自殺危機と煩悶を抱く旧制第一高等学校入学前後、転機となった一高在学中という三つの内面的成長の断片を中心に、谷川の一高の先輩である藤村操、阿部次郎、安倍能成、折蘆魚住影雄、藤原正などによる言説を補助線にして考察した。, 小論は、まず谷川徹三が中学三年生(一九一〇年)の夏休みに書いた作文集『五十の日子』という一次資料を利用し、彼にとっての修養のメカニズムを検討した。そして、第一高等学校入学(一九一三年)前後に、性の悩みをきっかけに煩悶青年になった経緯を見ることを通して、第一高等学校という場が青年に苦悩の自由および煩悶まで発酵するゆとりを与えたことを解明した。さらに、個人主義の受容という点において、大正初期の谷川の煩悶と、明治末期の藤村操の遺書、個人主義をめぐる阿部次郎、安倍能成、折蘆魚住影雄、藤原正などの発言、および操の自死に対する彼らの思考を考察することによって、一九一〇年前後の一高の煩悶青年に通底した内面的な悩みが個人主義、個の覚醒の結果であることを明らかにした。藤村操は宗教的救いを拒否して自死し、煩悶の段階に留まった。谷川、阿部、安倍のような青年と、折蘆、藤原正のような青年は、それぞれ幅広い読書と宗教思想運動によって煩悶解説・個人形成を遂げた。これらの青年は個人主義の受容という一つの〈系譜〉の中に捉えることができる。修養と当時形成されつつあった教養は異なる煩悶脱出・主体形成の方法である。}, pages = {149--166}, title = {教養の成立を再考する : 谷川徹三の内面的成長史を中心に}, volume = {48}, year = {2013} }