@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000448, author = {木場, 貴俊}, journal = {日本研究}, month = {Mar}, note = {本論は、林羅山の『多識編』という本草学の書物に見られるかみの和名から、彼の思想的営為とその変遷について考察したものである。この書物で用いられているかみは、従来林羅山の神道思想として取り上げられてきた理当心地神道には見られないもので、「怪異」に関する名物である。, 羅山は「怪異」を世俗の領域にある、仏教と関わりがあるものとし、教化の対象とした。そこには慶長年間、徳川幕府に仕えた羅山が思想的挫折を経験し、「従俗の論理」を得たことが大きく作用している。つまり『多識論』の「怪異」の名物を考えることは、神道思想や本草学だけに留まらず、儒学を含む羅山の思想的営為全体を考えることに他ならない。, 『多識編』は、慶長期の草稿本と寛永期の刊本に大きく分けることができ、特に慶長期に付けられたかみの和名が寛永期ではほとんど削除されてしまっている。この変化から、羅山の従俗教化の特徴と変遷を読み取ろうとした。, 慶長期の草稿本におけるかみの和名は、『和名類聚抄』という伝統的知識と朱子鬼神論を複合させて名物されたものであった。これは当時の社会の怪異認識と外見上類似するものであったが、内実には大きな差異があった。, しかし、それが寛永期の刊本でかみの和名がほとんど削除されてしまったのは、同時期に体系化された理当心地神道の影響を受けたからである。清浄かつ正常を求める理当心地神道には不正の鬼神である「怪異」が入る余地はなく、理当心地神道の「かみ」と「怪異」に名付けられたかみが同一視されることを回避するために削除されたのである。それは従俗教化の内容に大きな差異が見られた、ということを示している。, 『多識編』のかみをめぐる問題から判明したのは、羅山的儒学による日本の知識体系の独自解釈であり、そこに「従俗の論理」があった。}, pages = {31--52}, title = {林羅山によるかみの名物 : 『多識編』をもとに}, volume = {47}, year = {2013} }