@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000458, author = {竹村, 英二}, journal = {日本研究}, month = {Sep}, note = {近代日本の知識層の「知的基盤」「“隠然たる”知的習慣」の醸成要素として、江戸中~後期の儒学/漢学教育があったことを指摘する研究は、とくに教育史、思想史、そして文学研究に存在する。しかし、儒学/漢学教育の何が、ドのような能力を鍛錬・醸成し得たかについて、史料が語る教育事実の具体的様相の呈示をもって実証し、その上でしかるべき理論・知見をもって読み解く研究は少ない。本稿ではまず、江戸中~後期の学習「制度」のみならず、学習の「仕方」の具体相を検討し、とりわけ下見、講釈、質講/会読(輪講)、後見(復読/返り視)といった包括的学習課程が熾烈な競争的勉学を奨励していたこと、また、下見―会読―復読が学習効果を高めるための一体的な教育課程として実践されていたことなどを先行研究も勘案しながら検証する。その上で、「被」教育者が各々の漢学学習について語った記述を検討し、これら二つの方向からの考察を重ねあわせ吟味することをもって、企図された学習方法がどの程度実践され、いかなる知的習慣の醸成に寄与したかを検討する。さらに、「漢學修習の遺風」が洋学学習において大いに継承された(平沼淑郎の言)が、漢学学習のどのような鍛錬手法が近代知識層のいかなる知的基盤醸成に寄与したかも考察する。, 周到な字句、語句理解などの下準備を前提とする下見、容赦のない質疑応答を旨とした“旧来の”漢学の学習課程は、議論の内容のみならず、一体的有機的に読み方、議論の「形式」、その「仕方」を規定し、「被」教育者において広汎に共有されるべき知的習慣を醸成した。「本を読む」過程で実現される「意味の創出作用」は「本そのものとは別」である(R・シャルチェ)が、『讀書準縄』『授業編』などに示される諸々の指導要領により「歴史的に」決定される読み方の「形式」「形態」は、「被」教育者において「練熟」、「念慮」、「熟せ」る思考力(西周)といったものを内包する「“隠然たる”知的習慣」を醸成する装置として機能していたとすることができよう。}, pages = {101--123}, title = {江戸後期における儒学テクスト読解の作法 : 「練熟」「組織セル念慮」の醸成装置として}, volume = {46}, year = {2012} }