@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000467, author = {横山, 輝樹}, journal = {日本研究}, month = {Mar}, note = {本研究は、八代将軍徳川吉宗が幕臣に対して実施した武芸奨励策の中で、これまでほとんど論じられなかった惣領番入制度について分析するものである。従来の研究で論じられた吉宗の武芸奨励とは、弓馬上覧や古式射礼の復興、海外馬術の研究、狩猟の復活等である。士風刷新という目的のため広範な奨励が実施されたことは分かるが、それは吉宗の個人的な嗜好に負うものであって、吉宗の引退後であっても受け継がれるものであるとは言えない。また、武芸奨励自体は吉宗の将軍就任以前からも実施されていた。むろん吉宗期のそれには及ぶべくもない規模であるものの、少なくとも幕臣が武芸に励むことを幕府は期待し続けているのである。即ち、現在の研究水準では、吉宗の武芸奨励とは「前時代までと比して奨励の度合いが強かった」という評価に留まらざるを得ないのである。惣領番入制度の分析は、こうした現状に一石を投じることになろう。  惣領番入制度とは、旗本の惣領、特に旗本で構成される軍職である五番方番士の惣領を、家督相続前に登用するという制度である。家督相続前の惣領が登用されるのは非情に魅力的な制度ではあるが、それにはひとつの条件があった。それは、「武芸にどれほど秀でているか」ということであり、登用を望む惣領には武芸吟味が課されたのである。同制度ではこの他、当主の勤務年数による惣領の登用もあったが、偶然に左右される登用であり、五番方番士の惣領にとって期待出来るものではなかった。また、惣領番入が叶わなかった場合、五十歳を過ぎてなお家督を相続できない不利や、本来であれば番士以上に出世できる家柄を活かせないという不利が待っていた。惣領は是が非でも武芸に励むしかなかったのである。  武芸出精に制度的な恩恵を与えたこと。この点こそがそれまでの武芸奨励との違いであり、吉宗による武芸奨励の画期制なのである。}, pages = {51--113}, title = {惣領番入制度、その成立と意義 : 吉宗期の武芸奨励と関連して}, volume = {45}, year = {2012} }