@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000491, author = {菅, 良樹}, journal = {日本研究}, month = {Mar}, note = {大坂の幕府支配機構について、城代の職権を中心に論説し、以下の点に注目した。, 史料としては、幕府法令ではなく、土屋家文書に伝来する書状や留書などを使用した。, 1.従来、大坂の重職者については、定番が大坂城の守衛など軍事を担当し、町奉行が大坂や西国の民政を担当し、城代がそれを統括していたと一般的に考えられている。しかし、実際には、城代と町奉行が軸となって軍事および民政に取り組み、定番がその合意形成に加わり、サポートするという体制であったことが明らかとなった。, 2.城代土屋寅直は、大坂の経済復興、大坂・兵庫開港、プチャーチンの来航、朝鮮信使大坂易地礼聘問題に取り組んだ。民政だけでなく外交に奔走する城代像が析出されたのである。土屋は、公用人の大久保要の活躍により、職務を遂行していた。, 3.城代、定番、町奉行は、江戸の老中と幕府宿次で連絡を取り合い、大坂の行政を運営した。大坂の重職者間の合意形成は、宿次寄合、用談、書状の送受信でなされている。, とくに、書状のやりとりの重要性が認識できたといえよう。, 4.多さkの重職者は、大坂の経済復興策を立案し、江戸の幕閣が決定した開国政策に同意を求められるなど、「一定の自立性」があった。しかし、城代は老中に準ずる高官であるとはいえ、大坂開港といった幕府の通商方針に反対することは許されなかった。}, pages = {43--70}, title = {嘉永・安政期の大坂城代 : 常陸国土浦藩・土屋寅直の大坂、兵庫開港問題への対応を中心に}, volume = {43}, year = {2011} }