@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000500, author = {山梨, 淳}, journal = {日本研究}, month = {Sep}, note = {本論は、フランス人画家ジョルジュ・ビゴーが、滞日中に発表した反教権的諷刺画を取り上げる。ビゴーの諷刺画は明治日本の社会や風俗を鋭く描いた作品として現在広く認められているが、彼が同国人のカトリックの宣教師や修道士に対して諷刺を行っていたことはあまり知られてはいない。本論は、ビゴーの雑誌『トバエ』(第二期、第四一号、一八八八年)に掲載されたマリア会に対する諷刺画と、『ル・ポタン』(第二期、第二号―六号、一八九二年)に掲載されたフェリクス・エヴラール神父(パリ外国宣教会)の諷刺画を研究対象に取り上げ、これらの作品の製作動機、内容、受容状況を明らかにすることを目的としている。, 第三共和政下のフランスでは、二十世紀初頭に至るまで、反教権政策をとる共和政政府とカトリック教会の間で緊張関係が高まっていたが、日本の外国人居留地でも、在日フランス人の反教権的な動きが表面化することがあった。すでにビゴーの来日前、横浜のフランス語新聞は、フランス人宣教師に対して愛国心の欠如を理由に批判を展開していたが、ビゴーの反教権的諷刺画もフランス人聖職者を反フランス的、反共和主義的な存在とみなして、批判を試みたものであった。『ル・ポタン』において、ビゴーはフランスの在日公使館の通訳官であったエヴラール神父を諷刺したが、この作品は彼を重用する公使館を同時に批判するものでもあり、彼らが共和政フランスの外交官でありながら、カトリック教会の影響下におかれている点に向けて、批判が行われていた。これらのビゴーの作品は、批判対象となった教会関係者やフランス公使館には、根拠のない批判として反感をもって受けとめられていた。, 本論は、ビゴーの反教権主義者としての一面に光を照らすことによって、従来とは異なったビゴー像の提示を試みるものである。}, pages = {37--92}, title = {ジョルジュ・ビゴーと明治中期のカトリック教会 : 在日フランス人における反教権主義について}, volume = {42}, year = {2010} }