@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000507, author = {金, 廷恩}, journal = {日本研究}, month = {Mar}, note = {近世は、街道の整備と庶民生活の経済的向上にともない、楽しむ旅が大衆化した時代であった。京都の寺社では、近世初期から遠忌・開帳を盛んに催して客の誘致につとめており、旅人の来訪による経済効果も無視できない水準にまで達していた。このような時代背景の中で、モデルコースを収録した案内記が登場した。それは、アクセスに重点を置いた内容で、旅人が携帯して参照できるよう、小型に作られた実用書であった。そこに収載されたモデルコースとは、定められた基点から出発して、道なりの名所を順覧し、基点に戻るというものであり、現在のワンデープランや周遊モデルコースにつながるわかりやすい観光案内の原型と言える。しかし、これまでの研究では、注目されることが少なく、地誌の形態における多様化の一環として捉えられるにとどまってきた。, 本稿は、以上のような問題意識に基づき、モデルコースを収める案内記がどのように成立し、発展・継承されていったのかについて、このジャンルの嚆矢となる貝原益軒著『京城勝覧』を中心に検証した試論である。十八世紀初めに登場した『京城勝覧』は、益軒が藩儒としての公務の合間に培った京都に関する経験と知識をもとに、一巻が一日のコースになっている『鎌倉志』から手がかりを得るなどして、編集されたものであった。後続の案内記には、モデルコース仕立ての構成を意識し、それに続こうとした背景を裏付けるかのように、『京城勝覧』ほか先行案内記の文章が利用されている。一方、このタイプの案内記は、現地で参照される以外にも使用例があった。浅加久敬は、京都への旅を終えて帰郷した後、自身の紀行文をまとめるにあたって、『京城勝覧』を参照して書いていたのである。このような事例を踏まえて、モデルコース案内記が初歩的地理知識を担うものになっていたことを念頭に置く必要があり、小型案内記の役割について、今後のさらなる考察が俟たれるところである。}, pages = {73--102}, title = {近世案内記における観光モデルコースの登場 : 貝原益軒著『京城勝覧』から見えるもの}, volume = {41}, year = {2010} }