@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000510, author = {山梨, 淳}, journal = {日本研究}, month = {Mar}, note = {本論は、一九三一年に公開された無声映画『殉教血史 日本二十六聖人』(日活太秦撮影所、池田富安監督)を取り上げ、一九三〇年代前半期日本カトリック教会の一動向を明らかにすることを目的としている。この映画作品は、十六世紀末、豊臣秀吉の命で、長崎で処刑された外国人神父や日本人信者ら二十六人の殉教者をめぐるものである。長崎出身のカトリック信者で、朝鮮在住の資産家であった平山政十が、この映画の製作を企画し、彼の資金出資のもとに制作された。作品は日本で一般公開されたのち、平山個人によって北米と西欧諸国に、海外興行が試みられている。, この作品は、商業映画として製作されたが、カトリック教会の様々な関係者が製作と興行に関わっており、教会公認のカトリック劇映画といえるものであった。作品は、日本での一般公開時、批評家から好意的に受けとめられたが、興行的には成功しなかった。しかし、各地のカトリック教徒が、様々な形で上映に協力していたこともあり、教会の大規模な対外的文化事業としては一定の成果をあげることができた。, 平山のこの映画は、宣教映画にして、宣伝映画という性格をもっていた。この映画の製作目的は、信仰に殉ずる信徒らの描写を通して、国内においては、江戸時代以来のキリスト教に対する人々の偏見を払拭し、また、海外の観客に向けては、日本人の優れた資性を紹介することによって、満州事変以降、悪化していた対日感情を改善することにあった。, 当時、日本のカトリック信徒は、保守派から、しばしば非国民という非難をうけていたが、彼の映画製作には、教会の置かれていた困難な状況を打開するという、実践的な目的があった。平山が海外における興行活動によって、日本イメージの向上を目指したのも、その愛国的活動によって、カトリック信徒の存在を日本社会において認知させようという願いがあったからである。しかし、そのため、彼の海外興行は、日本の官憲の支援を受けた、国策的なプロパガンダ活動としての色彩を帯びることにもなった。}, pages = {179--217}, title = {映画『殉教血史 日本二十六聖人』と平山政十 : 一九三〇年代前半期日本カトリック教会の文化事業}, volume = {41}, year = {2010} }