@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000514, author = {多田, 伊織}, journal = {日本研究}, month = {Mar}, note = {丹波康頼が永観二(九八四)年に撰進した『医心方』三十巻は、当時日本に伝わっていた中国・朝鮮やインド起源の医書や日本の処方を集大成した、現存する日本最古の医学全書である。最善本は院政期の写本が中心となっている国宝半井家本であるが、幕末に幕府の医学館が翻刻するまで、ほとんど世に出なかった。その後も文化庁が買い上げる昭和五七(一九八二)年まで秘蔵されていた。, 『医心方』所引の先行医学書を、馬継興「『医心方』中的古医学文献初探(『撰進一千年記念 医心方』医心方一千年記念会 一九八六)は二百四種、一万八八一条と数える。その内、仏教関係の典籍は計十五もしくは十六種あるが、南朝の劉宋・南斉間の僧侶釈僧深の撰述した散逸医書『僧深方』は、『医心方』に多く引用されるだけでなく、『医心方』も引用する唐・王燾(六七〇?~七五五)『外台秘要方』に相当数採録されるなど唐代に重視されていた。『医心方』では直接引用二百・間接引用十九の計二一九条、『外台秘要方』では直接引用三二五・間接引用一三二の計四五八条を認め、重複を除いても、『僧深方』のまとまった輯佚が可能である。, 『僧深方』は、『隋書』経籍誌以降、書目に著録され、藤原佐世(八四七~八九七)『日本国見在書目録』医方家には「方集廿九巻 釈僧深撰」とあり、日本にも伝来していた。『僧深方』の構成は出典の巻次を明記する『外台秘要方』から一部復元できる。, 髄唐までに成立したおもな中国医書は、北宋において校正医書局の手で再編集され(宋改)ており、遣唐使などが将来した古鈔本に基づく『医心方』所引の文献は、宋改以前の本来の体裁を保つ点で貴重である。, 本稿では、『僧深方』輯佚の第一段階として『医心方』から『僧深方』を輯佚し、失われた『僧深方』がいかなる医学書であり、仏教東漸において、仏教医学がどのような役割を担ったかの一端を明らかにする。}, pages = {373--411}, title = {<史料紹介>『医心方』所引『僧深方』輯佚 : 東アジアに伝播した仏教医学の諸相}, volume = {41}, year = {2010} }