@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000515, author = {ISODA, Michifumi}, journal = {日本研究}, month = {Nov}, note = {近世日本の諸藩では、さまざまな、藩政改革がなされた。なかでも、十八世紀後半から十九世紀前半にかけて、全国諸藩に最も影響した藩政改革をあげるとするならば、熊本藩の宝暦改革と水戸藩の天保改革の二つが特筆される。, 十九世紀以降、幕府諸藩は近代化にむけた動きをみせはじめるが、この時期には、いくつかの改革モデルを提示する「先駆的な藩」があらわれた。近世中期から後期の藩政改革の展開は、第一段階として一七五〇年ごろから、熊本藩など少数の「先駆的な藩」が藩政改革をすすめ「プロト近代化行政」とでもいうべき行政モデルが形成され、第二段階として、一八〇〇年ごろ、このような先駆的な藩の動きが、松平定信政権のもとで幕府の寛政改革にとりこまれてゆき、全国の諸藩でも相次いで類似の「官制改革」がおこなわれた。そして、第三段階として、一八三〇年ごろ、幕府と水戸藩が天保改革を行い、いわゆる雄藩が登場し、とくに水戸藩の天保改革が「海防」の政策モデルとして諸藩に政策的影響をおよぼすようになった。つまり、熊本藩と水戸藩の改革は一九世紀における日本の近代化の流れに強い影響を与えたといえる。, そこで本稿では熊本藩と水戸藩をとりあげ、両藩の政策を比較検討し、政策的影響の有無をみた。熊本藩の宝暦改革が、後に全国諸藩に大きな影響を与えることになる水戸藩にどのような政策的影響をあたえていたのか。一九世紀前半における日本の近代化を考えるうえで、熊本藩から水戸藩へという流れをみる。一八世紀後半、熊本藩には先駆的な行政モデルが胚胎していた。これが天保改革に帰結していく水戸藩の藩政の動きに、具体的に、どのようにつながるのか。または、つながらないのか。この点を考察した。}, pages = {13--42}, title = {藩政改革の伝播 : 熊本藩宝暦改革と水戸藩寛政改革}, volume = {40}, year = {2009} }