@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000530, author = {西槇, 偉}, journal = {日本研究}, month = {Mar}, note = {本文は、小品文作家としても知られた近代中国の画家、文学者豊子愷(一八九八-一九七五)の初の小品文「憶児時(幼時の思い出)」(一九二七)が、夏目漱石『硝子戸の中』(一九一五)に影響を受けた可能性を検証しようとしたものである。, 一九二五年、画家として夢二風のコマ絵画集を上梓した豊子愷は、翌年小説「方味」を発表し、それが彼の最初の文学作品となった。この小説で彼は弘一法師こと李叔同との交流を題材としながらも、漱石「初秋の一日」(一九一二)や『門』(一九一〇)の構成や表現技法を借用したと思われる。その後、「憶児時」と同時に発表された「華瞻的日記(華瞻の日記)」も漱石の「柿」(一九〇九)の主要モチーフやストーリーを反転させた作品と考えられ、豊子愷文学誕生の背景に漱石の存在は無視し得ない。, 「憶児時」は三節からなる連作で、そこで作者は祖母の養蚕、父が蟹を食べることを中心とした家族団欒の情景、幼友達との魚釣りを回想する。甘美な思い出に浸る一方、作者はそこに見られる殺生の行為を後悔し、反省する。前作「方味」では、仏門の前で戸惑う自分の姿を描いた豊子愷は、「憶児時」で仏教信仰に邁進する決意を吐露したのだと考えられる。実際、その後ほどなくして、彼は在家の弟子として李叔同に帰依する。, 前作で漱石の仏教体験に着目した豊子愷は、本作においても同じ傾向の漱石作品を下敷きにしたように思われる。それは『硝子戸の中』第一九節で、そこで漱石は少年時代を回顧するが、近所の酒屋や青物問屋にまつわる思い出を記してから、最後に豆腐屋の先の方にある寺に触れ、その寺の鉦の音が「心に悲しくて冷たい或物を叩き込むやうに、小さな私の気分を寒くした」と結んだ。漱石の少年期の仏教体験とみなしうるくだりである。つまり、「憶児時」と『硝子戸の中』第一九節は、ともにようじの思い出を述べておいてから、最後に作者の仏教への関心をほのめかす内容を配置するのだ。また、そうした前後対照的な構成や、多様な感覚表現を駆使した文章の特色など、複数の共通点が両作品の間に見出される。, 『硝子戸の中』第一九節に続く二節も子どものころを追憶したもので、その構成に倣ったといえる「憶児時」の第三節は『硝子戸の中』第三一-三二節とも関連があるように思われる。豊子愷が幼友達王囝囝を描く際、漱石が小学校時代の友人喜いちゃんとの交友を記した二節と類似する主題や表現を用いた。彼らが幼友達を紹介するくだりの文脈が酷似するのは偶然であるはずはないだろう。, さらに、「憶児時」は三節とも同様の構成をもつことについては、李叔同の歌「憶児時」との関連を考慮しなければならない。師への思いをこめ、豊子愷は同じタイトルを自らの小品文につけたのであり、また歌のリフレイン形式を小品文に試みたと考えられる。この小品は李へのメッセージといえる。師弟関係もまた前作「方味」に通じるテーマなのだ。, よって、「憶児時」は漱石『硝子戸の中』のみでなく、李の歌をも踏まえた創作だと考えられる。とはいえ、漱石文学の主題や表現を踏まえつつも、豊子愷はややずらした形で自らの特色を打ち出そうとしたことも事実である。このように、漱石との比較により、豊子愷小品を解読することは極めて有効であり、それは同時に豊子愷の視点から漱石を読むことにもなる。これまで取り上げられることの少なかった漱石小品の研究に新生面を切り開くことができるのではないか。}, pages = {65--84}, title = {響き合うテキスト(四)幼児体験の光と影 : 豊子愷「憶児時(幼時の思い出)」と夏目漱石『硝子戸の中』}, volume = {39}, year = {2009} }