@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000553, author = {鈴木, 貞美}, journal = {日本研究}, month = {Mar}, note = {概念の変化を知らなければ、現在の概念を投影して過去の同じ語を読んでしまう誤りが往々に起こる。現在の概念による分析スキームを過去に投影して、分析を行う時代錯誤も繰り返されてきた。それゆえ、概念史研究は、あらゆる学問の不可欠な基礎である。そして、概念史研究は、これまで分析概念と当代の概念とを混同したまま説かれてきた学説を覆し、全く新しい文化史の研究をひらくこともできる。, ところが、概念史研究は、ともすれば、ひとつの概念の変化の過程を追うことに終始しがちであり、その概念のそれぞれの時代の知の全体における相対的な位置の解明がおろそかになりやすい。, それゆえ、ここに、学芸全体の概念編成についての知の共同作業とその方法を提案する。学芸概念編成史研究は、学問の体系が、どのような力により、どんな価値観の変化をともないながら、編みかえられてきたのか、その様子を明らかにする研究である。これは、全分野に開かれた構造研究と歴史研究との総合である。そして、この運動の中では、各自が自分の作業の意味を知りながら研究を進めることができる。, 次に、とりわけ東アジアにおいて、この研究が有効性を発揮し、新たな文化史研究を開拓する理由を示しておこう。東アジアにおける古代から近世にわたる学芸の歴史は、ヨーロッパとはまったく異なる編成をもつ中国のそれを基本にしつつ、朝鮮半島と日本において、それぞれ独自に推移してきた。一九世紀以前にも西洋の宗教や学術が伝えられはしたが、その全体の構成を変化させるにはいたらなかった。しかし、一九世紀の半ば、上海でプロテスタントの宣教師と中国人の若い知識人との協力によって大量の西欧新知識が翻訳され、それが日本にもたらされるやいなや伝統的な概念編成の組み換えがはじまった。儒者、佐久間象山が朱子学の「天理」の概念によって、西洋の科学技術をとりいれ、大砲の製造実験を始めたように、それは伝統的な土台の上に西洋知識を受け入れることによってはじまり、自然科学と人文・社会科学を切り離して土台のしくみを組み替えるにいたった。その組みかえには、日本と中国との文化的土壌や価値観のちがいと歴史的条件が働いた。, たとえば伝統的な「文学」概念の組みかえが日本で起こったことは、魯迅「門外文談」(一九三四)の「『文学は子游、子夏』からきりとってきたものではなく、日本から輸入したもの、彼らの英語literatureに対する訳語なのだ」という一文がよく示している。しかも、日本では、明治以前に、和歌や物語が「文学」と呼ばれたことは一度もなかった。それらは新しい概念編成により、言語芸術として扱われるようになったのである。, ただし、教会の精神世界に対して起こされたルネッサンスを経験しなかった日本の文学や芸術は、いわばギリシアやローマの古典芸術の代わりに、古代からの神話、儒学、仏教などに彩られている。そして、日本の大学で人文学を教育する文学部の哲学科には、ヨーロッパでは神学部に属している宗教学が組み入れられた。このようにして、西洋諸国の学芸の編成とは異なる体系が日本で築かれたのだった。その体系が二〇世紀前半を通じて、日本帝国主義とともに台湾や朝鮮半島にもたらされ、また中国の留学生の手によって、大陸に持ちかえられたのだった。, 地球環境が大きな問題となっている今日、二一世紀にふさわしい学問を築くために、近代の知のシステムと同時に東アジア近代の特殊性もよく反省する必要があるだろう。東アジアにおける学芸概念とその編成史の研究を呼びかけるゆえんである。}, pages = {253--258}, title = {<共同研究報告>東アジアにおける学芸諸概念とその編成史 : 国際共同研究とその方法の提案}, volume = {37}, year = {2008} }