@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000555, author = {吉岡, 亮}, journal = {日本研究}, month = {Mar}, note = {演劇というジャンルが編成されていく過程を新たな形で見直していくために、本論では、明治一〇年代の演劇と、文明論、社会改良論、自由民権論といった、同時代の様々な領域の議論の交錯の具体的な様相と、それを可能にしていた図式の存在を明らかにした。, 演劇論と文明論や社会改良論の交錯を可能にしていたのは、メディアと社会を結びつける共通の図式の存在であった。その図式においては、メディアとしての演劇には社会の現実を投影する機能と構成する機能があり、演劇が関係する社会は中等以下の人々を主要な構成要員とするものとされていた。さらに、文明論や社会改良論では、こうしたメディアの性質は演劇に限定されるものではなく、小説や浄瑠璃などにも妥当するものとみなされていた。, また、演劇論と社会改良論が交錯することで、演劇論の内容に変化がもたらされてもいた。演劇論は勧善懲悪の物語を理想的なものとしていたのに対して、社会改良論はそれを前時代のものとし、演劇は文明社会にふさわしい自由民権の物語を上演すべきであるとしていたのである。, 明治一七年に上演された「東叡山農夫願書」という演劇作品は、右のような議論と対応する作品であると同時に、義民という人物表彰を結節点として民権論と交錯する作品でもあった。その上演に際しての作品に対する意味づけ、および、作品の解釈は、メディアと社会を結びつける図式を基盤とするものであった。その場合の解釈には二つの水準が存していた。一つは、義民=民権家とする同時代の民権論を踏まえて、その物語を自由民権運動の寓意として読み解き、「東叡山農夫願書」を文明社会にふさわしい作品として評価するものである。もう一つは、その物語を既存の「義民物」の枠組みの中で解釈し、「東叡山農夫願書」を前時代的な作品として否定的に評価するものである。後者の評価においては、メディアと社会を結びつける図式に見られた、作者に対する批判が前景化してくることとなっていた。}, pages = {293--314}, title = {<共同研究報告>現実を投影╱構成する演劇 : 明治一〇年代の演劇と文明論、社会改良論、自由民権論の交錯}, volume = {37}, year = {2008} }