@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000581, author = {フィスター, パトリシア}, journal = {日本研究}, month = {May}, note = {本論文は、筆者の馬郎婦観音像の研究から起こっている。馬郎婦観音は、かつては人気があったが現在の日本ではほとんど忘れられた観音菩薩である。皇后・東福門院(一六〇七-一六七八)が制作した押絵と呼ばれるコラージュのような馬郎婦観音像に興味を引かれて、馬郎婦観音の歴史と起源に関する論文を書き、臨済宗の禅寺の永源寺、圓照時門跡、延寿寺に現存する東福門院作の三つの馬郎婦観音像を分析した。この論文の発表後、もう一つの東福門院作の馬郎婦観音像を岩倉の実相院門跡に見つけたが、それは実在の人物である三位局(一五八三-一六五八)の肖像画であるとされていた。本稿では、実相院にある文書と他の文書を調べた結果をもとに、この馬郎婦観音像の本来の身元と作者を明らかにし、馬郎婦がいかにして三位局と見なされるに至ったかを探ってみたい。この三位局という人物自体、実に興味深い女性であったことが明らかになった。また最近、学会で大きな関心を集めているテーマ――新たな名付けを与えられた仏像と実在の人物の肖像画の関係という問題――にも簡単に触れる。}, pages = {437--449}, title = {実相院蔵馬郎婦観音像の名付けの変遷}, volume = {35}, year = {2007} }