@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000593, author = {片平, 幸}, journal = {日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要, BULLETIN OF THE INTERNATIONAL RESEARCH CENTER FOR JAPANESE STUDIES}, month = {Mar}, note = {本稿では、欧米諸国における日本庭園像の形成を歴史的に捉える上で重要と思われる原田治郎(一八七八~一九六三)という人物を紹介する。一九二八(昭和三)年にイギリスで刊行された原田治郎のThe Gardens of Japan (Edited by Geoffrey Holme, The Studio Limited. )は、日本人による英語で著された日本庭園論としては最もはやい単行本として位置づけられる。一九三〇年代に入ると、原田以外の日本人による英語の日本庭園論の著作は増加するが、それらはいずれも日本国内での出版であった。そうした事情によって、原田の著作は日本人による文献としては突出した頻度でその後の英語圏の日本庭園論に参照されていく。, 原田治郎のThe Gardens of Japanに着目する意義は二点に要約できる。まず一つめは、原田を介して、新しい解釈が英語圏へと広まったことがある。しかしそれは、原田がまったく独自の日本庭園論を展開したことを意味するのではない。むしろ原田の貢献とは、岡倉天心の芸術観や禅の思想などを日本庭園の理解に必要な背景として英文で紹介したことにある。原田はさらにそうした理解のあり方を視覚的に補完する画像資料を用いて、それまでにない日本庭園像を英語圏の読者たちへと伝えた媒介者としての役割を果たした。, こうした原田治郎の功績については、その後、欧米諸国と日本国内では対照的な評価をみせる。この評価の二分化が、原田に着目する意義の二点目である。一九三〇年以降、欧米人が著した日本庭園論に原田が頻繁に挙げられるのに対して、日本国内の庭園研究者たちは、その存在を認識しつつも、The Gardens of Japanの内容とその影響力について積極的に評価したり取り上げることはなかった。こうした事情には、原田の根ざした文脈と当時の日本庭園研究の文脈との距離が集約されているといえる。そこで、本稿では原田の庭園論の前史について概観し、原田のThe Gardens of Japanの内容、そしてその後反応について紹介したい。}, pages = {179--208}, title = {欧米における日本庭園像の形成と原田治郎のThe Gardens of Japan}, volume = {34}, year = {2007} }