@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000603, author = {クレインス, フレデリック and 宮田, 昌明}, journal = {日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要}, month = {Oct}, note = {江戸時代に日本に対するヨーロッパのイメージをめぐる研究はこれまで、先行する16世紀のイエズス会士による書簡や、18世紀初頭のケンペル『日本誌』以降のプロテスタントの著作を主たる対象として行われてきた。17世紀に関しては、カロンのようなオランダ東インド会社員による報告を除き、ヨーロッパに新たな情報がほとんどもたらされなかった時代として捉えられていたのである。, とはいえ、17世紀には、日本を直接訪れたことのない著者による、日本に関する多くの著作が出版されていた。本稿は、シモン・デ・フリース『東西インド奇事詳解』(ユトレヒト、一六八二年)における日本文化に関する記事を検討している。同書は、当時のオランダの中流階層において広く読まれた博物書であった。, 同書における日本に関する様々な記事には、日本社会の様々な側面に関する、最新の情報を含む多くの情報が含まれている。デ・フリースはそれらの情報を、エラスムス・フランシシの博学書に依拠しており、さらにフランシシの著作は、主としてヴァレニウスやモンターヌスの著作に依拠したものであった。モンターヌスの情報源は、オランダ出島商館の日誌であり、モンターヌスは、日本社会に関する最新の情報を与える一六六六年までの日誌を利用できた。, デ・フリースの博物書を分析することによって、17世紀後半オランダの上流・中流階層の間で、「日本」が広範な関心を呼ぶ対象であったことが判明する。そうした関心の存在が、のちのケンペルの日本に対する探求心に何らかの影響を与えたことも、十分に考えられるのである。}, pages = {296(1)--171(126)}, title = {<研究資料>17世紀オランダに普及した日本情報 : デ・フリース『東西インド奇事詳解』における日本関係記述}, volume = {33}, year = {2006} }