@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000605, author = {堀, まどか}, journal = {日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要}, month = {Mar}, note = {野口米二郎(一八七四―一九四七)は、一九一四年一月、ロンドンのJapan Societyにて “Japanese Poetry”、オックスフォード大学Magdalen Collegeのホールにて “The Japanese Hokku Poetry”と題して、日本詩歌についての講演を行った。それらの講演がまとめられ、同年三月にはThe Spirit of Japanese Poetry としてジョン・マレー社から刊行され、翌一九一五年一〇月に日本語版『日本詩歌論』(白日社)として出版された。本稿は、野口がこれらにおいて何を語り、そこにいかなる意義があったのかについて論じたものである。, この講演において、野口は、日本詩歌の最も優れた詩は《書かれない(Unwritten)》詩、《沈黙の中に歌われる(sung in silence)》詩であると述べた。野口はすでに欧米で関心がもたれていた俳句(野口はhokkuと呼ぶ)を中心に日本詩歌の精神を論じ、松尾芭蕉をその最高峰として語った。野口が、当時欧米において評価の高かった「落花枝に」を批判して、芭蕉の「古池や」を秀句として示したことは、英国聴衆に対して衝撃を与えたといえる。また芭蕉と比較して、マラルメを挙げ、ペーターを挙げて、俳句を象徴主義(野口は表象主義と呼ぶ)や同時代的な英国詩壇の潮流の中で論じたことは、たいへん重要である。野口の、芭蕉と西洋詩人たちとの対比、そして欧米の文学論にはめ込んだ日本詩歌論は、欧米人には勿論、日本人にとっても刺激的な興味深いものであったに違いない。, 野口は、日本詩歌の伝統とその美のありようを、日本の詩人としては初めて欧米に紹介した。アストンやチェンバレン、天心によって既に知られていた例や概念を用いながらも、自らの翻訳をもって、従来の解釈に批判を加え、あるいは深化させた。詩人としての独自の見解を示しつつ、幅広い観点と優れた感性をもって日本文化の精神を論じようとしたといえる。彼の日本詩歌論は、欧米文壇の時代の潮流にのり、また日本に逆輸入されるような形でも影響し、インタラクティブに同時代に作用したといえる。}, pages = {39--81}, title = {野口米二郎の英国講演における日本詩歌論 : 俳句、芭蕉、象徴主義}, volume = {32}, year = {2006} }