@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000621, author = {岩井, 茂樹}, journal = {日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要}, month = {Oct}, note = {現在、能といえばすぐさま「幽玄」という言葉が想起されるほど、両者は固く結びついている。なるほど、世阿弥が残した能楽書には「幽玄」という言葉がたびたび使われている。だが、「幽玄」は、能の世界では長らく忘れ去られていた言葉であった。それでは、能と「幽玄」は、いつから、どのようにして、結びついたのだろうか。本論稿はこの点を明らかにすることを目的とする。, 本論稿で明らかになったことを以下に列記する。, ① 「幽玄」という言葉の原義は、「深遠・微妙・はかりがたい」といった意味であった。院政期以降は、「優美・典雅」といった派生的な意味も見られるようになる。世阿弥の使用した「幽玄」もこの意味に近い。江戸時代、一般的に用いられる場合には原義で用いられていたと考えられる。明治時代以降は、派生的な意味が完全に消失し、原義でしか用いられなくなった。, ② 明治以降の文学史において、「幽玄」と評される対象は、芭蕉→『新古今集』→能というように推移した。現在ではほぼ能に限定して使われている。, ③ 能と「幽玄」が結合し、<能=「幽玄」>という図式が出来上がるまでには、少なくとも五つの要因が必要であった。その要因とは、(1)吉田東伍による『世阿弥十六部集』の発見と、世阿弥評価の高まり、(2)象徴手法を用いた文学作品として芭蕉の俳句、『新古今集』の歌への関心が高まった結果、中世、「幽玄」に注目が集まるようになったこと、(3)能楽研究が進展した結果、研究者によって、「幽玄」という理念の解明が積極的になされたこと、(4)岩波書店の人脈網と出版戦略、(5)家元による積極的な発言と行動(とりわけ観世寿夫の役割が大きい)、であった。, 概括すると、大正末期から昭和初期にかけて能楽と「幽玄」の関係がさかんに論じられるようになり、昭和初期にかけて能楽と「幽玄」の関係がさかんに論じられるようになり、昭和一〇年代にそれが固定化し、それが現代にも引き継がれたのである。}, pages = {69--114}, title = {「日本的」美的概念の成立 : 能はいつから「幽玄」になったのか?}, volume = {31}, year = {2005} }