@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000625, author = {酒井, 順一郎}, journal = {日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要}, month = {Oct}, note = {一八九六年、清国駐日公使裕庚は西園寺公望外相に清国政府派遣の留学生を日本の教育家に委託したいと依頼した。文相も兼任していた西園寺は高等師範学校長嘉納治五郎に相談し、嘉納治五郎はこれを引き受けた。これが初めての中国人日本留学生である。派遣人数は十三名であったが、四名は途中帰国した。その後、四名の留学生の代わりに一名の補欠留学生を派遣した。, 留学生の教育内容は日本語教育と普通学である。教育程度は小学から中学程度であり、その教育方法は留学生と教師双方の手探り状態であった。その原因として双方の言語問題と科挙制度教育の弊害も考えられる。全員が卒業できなかったとはいえ、卒業後の留学生の活躍ぶりは注目すべき点である。結果的には留学生、嘉納治五郎、清国政府は満足しており、留学教育は成功したといってよい。その後の中国国内における日本留学奨励に拍車をかけた一つのきっかけとなったといえよう。, 本稿では一八九六年、中国人留学生の派遣・受け入れ経緯とそこで実施された教育実態を論じる。}, pages = {191--207}, title = {一八九六年中国人日本留学生派遣・受け入れ経緯とその留学生教育}, volume = {31}, year = {2005} }