@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000626, author = {丁, 蕾}, journal = {日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要}, month = {Oct}, note = {本論は、岸田吟香が中国で行った医学関係の活動に着目し、日本の対中国医療活動の草分け的な存在としての歴史的な意味を検証しようとしたものである。, 一九世紀半ばから、西洋宣教師が上海を中心とした開港都市で伝道医療を行っている背景で岸田吟香は医療活動を始めた。西洋勢力の中国進出に対して危機感を抱いていた彼は、上海往訪のときに、伝道施設の空間の中で生活し宣教医師と浅からぬ関わりを持ったので、伝道医療への対抗意識は一つの動機になったと思われる。中国の遅れた社会医療状況、とりわけ日中両国で流行した眼病、および彼自身の治療体験は精錡水を初めとした日本の薬品を中国に導入する機会を提供した。そして中医、中薬を信頼する一部の中国人の需要に合わせて、彼は中医の名目を利用して西洋の医薬を中国に導入した。伝統医学における日中の連帯感がアピールされる特徴だといえる。さらに、彼は政治的に西洋勢力の侵入に備え、日中の提携を唱える中国保全論の支持者である。日清戦争後、中国で悪化するアヘン毒の蔓延に対して、私費で戒煙病院の建設を計画し、中国人と渡航日本人の衛生保険に寄与しようとした。以上の諸点から見ると、岸田吟香の医療活動は日本の先進的な医療で中国偏重の医療社会状況を改善し、中国を日本が求めるように改造して西洋勢力に対抗するものだと判断できる。後の対中医療活動に対して先導的な役割を果たし、一つとしては医療団体の同仁会の設立を推し進めたこと、一つとしては大学目薬、仁丹などを代表とする日本薬品の中国進出をもたらしたことである。}, pages = {209--233}, title = {医薬・医療と「日中連帯」 : 岸田吟香の諸活動を中心に}, volume = {31}, year = {2005} }