@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00006261, author = {ゴードン, アンドルー}, journal = {日本研究, NIHON KENKYŪ}, month = {Jun}, note = {日本に関する言論の内容と論調は国内でも国外でも1990年代にがらりと変わった。「失われた十年」という言葉が急激に流通し始めたことは、それを象徴する。この言葉は1998年夏の同じ週に、英語と日本語双方の活字メディアで初めて登場した。日本は凋落しつつある、日本は失われたという認識が、国の内外でほぼ同時に生まれていたのである。本稿では、1970年代から2010年代にいたる保守派のイデオロギーを検証することによって、「喪失」論議の登場を理解しようと思う。なかでも、中流社会日本という未来への自信喪失と深く関わるイデオロギーの風景の変遷をめぐり、その二つの局面を追うことにする。それは第一に、健全な社会を維持する手段として市場と競争をとらえる考え方、第二に、ジェンダーの役割の変化に対する姿勢である。過去二十余年に「失われた」のは、健全な社会を構成するものは何か、それをどのように維持し達成するのかについての保守本流のコンセンサスだった。1970年代と80年代には、管理された競争という日本的なあり方、および女は家庭・男は仕事というジェンダー分割に支えられた社会構造が、このコンセンサスの根拠だった。それが1990年代、2000年代になると、全世界共通の現象だが、日本でも管理経済に対して新自由主義から猛烈な挑戦が始まると同時に、それよりは弱いものの、日本社会に埋めこまれたジェンダーによる役割分業への挑戦が始まった。しかし、いずれの挑戦もはっきりと勝利をおさめたわけではない。}, pages = {23--49}, title = {<特集 「失われた二十年」と日本研究の未来>高度成長から「失われた二十年」へ : 国家・市場・ジェンダーのイデオロギー}, volume = {53}, year = {2016} }