@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00006262, author = {鍾, 以江}, journal = {日本研究, NIHON KENKYŪ}, month = {Jun}, note = {本論は、この二十年間、日本のみならず世界全体に深甚な変化を及ぼしてきたグローバリゼーションという世界史的潮流の中で、それまである意味で政治的、国家的利害に拘束されてきた日本研究が、今後グローバルな知識生産の体系の一つとして脱皮し、新しい意義を持つ可能性を探ったものである。, 最初に、日本の内外におけるこれまでの日本研究を、十八世紀のヨーロッパに起源を持つ人文学の伝統を汲む近代的知識生産の一部として位置づけ、その人文的伝統の中に、二つのテンション――人文―国家のネクサス(連鎖)と、フマニタス―アントロポスの対立構図――が内在していたことを指摘し、それらを批判的に考察した。両者とも誕生の時から、世界に伝播する歴史的ダイナミズムを持つ人文的知識生産を伴っていた。, 第一のテンションは、人間全般についての普遍的な学問としての人文学と、国民国家に仕える性格の人文学の間のものである。普遍的人間性の理想は、世界各地での近代的知識生産を可能にしたが、同時にそれは、固有性を主張する排他的な国民国家の枠組みのなかで遂行されてきた。普遍的な人文学と国民国家は相互依存関係にあった。, 第二のテンションにおいても、知る主体、知識生産の主体としての西洋のフマニタス的自己認識と、知られるべき他者としての非西洋のアントロポス的認識は相互依存関係にある。フマニタス―アントロポスの対立構図は、ヨーロッパによる世界の植民地化と手に手を携えて進んだ近代の知識生産の一つの構造的な認識原理となる。, しかしグローバリゼーションが進むにつれ、近代の人文的知識生産の二つのテンションを支えてきた歴史的条件は幾つかの面において変わりつつある。グローバリゼーションが起こってきた一つの理由は非西洋世界の台頭にあるが、それによって西洋―非西洋の認識論的・文化的境界が崩されるようになり、それまで強固に根を張っていた分離と差別の形式が緩み始めている(また違った形の不平等と区別が生まれつつあるのだが……)。このような歴史変化を起こしているグローバリゼーションの諸力を深く認識する上で、世界中の人文学を閉塞させてきたフマニタス―アントロポス、および国民国家の枠組みを問題化できるのではないか。, われわれの思考と想像力の地平を限ってきた二つの枠組みは、おそらくそれを完全に解体することは難しいが、その呪縛を幾分でも解消することができれば、国民国家が相対化される中に新しい人文学研究のヴィジョンが生まれてくるだろう。大学教育・学界が世界的に繫がりを強めつつある今日の潮流の中で、日本研究も同様にトランスナショナルな変貌を遂げつつあり、そこから新しい意識が芽生えてくる可能性がある。それは、世界史的なグローバリゼーションの流れのなかに自己を定位し、その流れをどの方向に向けるべきかを考えながら、自己の限られた力を賢明に使おうとする意識である。日本研究についても、ある種のグローバルな人文学研究を想定し、そのなかで「日本」を主体に、客体に、あるいは背景的知識にしながら研究を遂行し、新しい人文学研究の創成に資するのが望ましい姿ではなかろうか。}, pages = {51--62}, title = {<特集 「失われた二十年」と日本研究の未来>日本研究の未来 : グローバルな知識生産体系への参入}, volume = {53}, year = {2016} }