@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00006267, author = {小泉, 友則}, journal = {日本研究, NIHON KENKYŪ}, month = {Jun}, note = {現代日本において、子どもの性をよりよい方向に導くために、子どもに「正しい」性知識を教えなければならない・もしくはその他の教育的導きがなされねばならないとする“性教育”論は、なじみ深い存在となっている。そして、このような“性教育論”の起源がどこにあるのかを探求する試みは、すでに多くの研究者が着手しているものでもある。しかしながら、先行研究の歴史記述は浅いものが多く、日本において“性教育”論が誕生したことがいかなる文化的現象だったのかは多くの部分が不明瞭なままである。そこで、本稿では先行研究の視点を引き継ぎつつも“性教育”論の歴史の再構成を試みる。, 具体的には、現状最も優れた先行研究である茂木輝順の論稿の批判検討を通じて、歴史記述を行う。取り扱う時期を近世後期~明治後期に設定し、“性教育”論の源流の存在と誕生を追っていく。, 日本においては、近世後期にすでに“性教育”論の源流とも言える教育論は存在し、ただ、それはその後の時代の”性教育”論と比すると、不完全なものであった。近代西洋の知の流入は、そうした日本の“性教育”論の源流の知に様々な新規な知識を付け加えていく。そのような過程のなかで、“性教育”論は明確なかたちで誕生していくわけであるが、その誕生の過程では、舶来物の知識と従来の日本における文化との摩擦もあり、その摩擦を解消するためには“性教育”論を学術的なものだと見做す力が必要だった。, その摩擦をひとまず解消し、“性教育”論が日本において確立するのは、明治期が終わりを迎えるころであった。その時期には、「性教育」という名称が出現し、”性教育論”の要素を占める主要な教育論も出そろい、社会的な認知や承認も十分に備わっていた。}, pages = {153--188}, title = {日本における“性教育”論の源流と誕生}, volume = {53}, year = {2016} }