@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000632, author = {小檜山, ルイ}, journal = {日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要}, month = {Mar}, note = {本論文は、海外伝道、あるいは、宣教師の研究が、主としてアメリカのアカデミアにおいて、どのような位置づけを与えられてきたかを解説することで、東アジアとプロテスタント宣教師関係に関する研究の若干の手引きを提供しようとするものである。東アジアでのプロテスタント伝道は、単純に数の上からいって、北米派遣の宣教師が多大なる影響力を持った。したがって、研究の上でアメリカに残る史資料やアメリカでの研究に依拠することも多い。その際に、参照する史資料、研究の性格や位置づけを把握する手がかりになれば、と考えた。, アメリカによる東アジアにおける伝道の研究をしていて、日本での宣教師の捉え方とアメリカでのそれにはずれがある、と感じることが幾度もあった。皮肉にも、宣教師の「介入」を受けた側の日本では、宣教師はしばしば「聖人」や「偉人」として描かれ、その仕事も「非難」というより、むしろ、「感謝」をもって積極的に評価されることが多い。これに対して、アメリカではむしろ宣教師は社会の主流から外れた「日陰者」、他国に介入する「おせっかい」、合理性を欠く「狂信者」といったマイナスのイメージがどこかつきまとう。日本における積極的評価は、宣教師伝の多くがクリスチャンやミッション・スクール当局によって書かれ、立場による偏向をもつことに由来する場合も多い。だがそれだけではなく、宣教師が西洋人で新しい知識をもたらす権威者であったこと、また、実際に彼らの仕事によって様々な意味での恩恵を受けた人々がいたことなども理由となっているようだ。では、アメリカにおける否定的なイメージはどこから来るのか。その中で、あるいは、それにも関わらず、宣教師の研究はどのような人々によって進められてきたのか。近年になって、宣教師研究が見直され、宗教的文脈以外の場で行われる研究が増えつつある理由はどこにあるのだろうか。, 本論文では、まず、海外伝道が一九世紀のアメリカ社会においてどのような意味を持っていたのかを、他社に奉仕する理想的人間像、ひいては、そうした自画像をアメリカ社会が構築する上で、海外伝道が国内的に大きな意味を持ったことを指摘する。つまり、弱肉強食の、ダーウィン的人間像を抑止し、バランスをもたらすための、利他的人間像の涵養に海外伝道は寄与したこと、さらに、それがジェンダー化されて構築されたことを論ずる。第二節では、二〇世紀、特に第一次世界大戦後に、主流協会による海外伝道が急速に凋落していった理由を、(1)世俗化、(2)伝道地におけるナショナリズムの高揚とネイティヴからの批判の高まり、(3)プロテスタント内部における保守主義と自由主義の分裂という観点から説明する。そして、この衰退の過程が、リベラルな知識人に、海外伝道に対する一種の嫌疑を植え付けたことを指摘する。第三節では、最近に至るまでの、アメリカにおける海外伝道、宣教師についての研究史の概略を系譜に分類して解説する。すなわち、(1)神学校系の研究、(2)ジョン・キング・フェアバンク=ハーバード系の研究、(3)女性史系の研究、(4)新しい外交史系の研究である。第四節では、日本におけるプロテスタント・キリスト教宣教師に関する研究の傾向を素描する。, 従来ともすると、宗教的関心に限定される、特殊な研究と見なされがちだった伝道や宣教師の研究が、より広い視野の関心と研究の対象となることを期待したい。}, pages = {79--107}, title = {アメリカにおける伝道研究の文脈とその現在}, volume = {30}, year = {2005} }