@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000633, author = {高井ヘラー, 由紀}, journal = {日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要}, month = {Mar}, note = {植民地支配におけるキリスト教の役割は、これまで「教会と国家」という観点から、どちらかというと統治権力に対して妥協的であったその姿勢が、批判的反省的にとらえられる傾向があった。そのような妥協的姿勢は、「キリスト教国」である欧米のみならず、日本による植民地支配の場合においても同様であった。しかしキリスト教は、植民地支配が生み出す多文化的な状況において、しばしば、異文化に属する「支配者」及び「被支配者」間に、文化的政治的障壁を越えた交流をもたらす媒介でもあった。このことを示す具体的な事例として、本稿では、日本による台湾植民地統治が開始した一八九五年、台湾武力制圧の過程において見られた事例に着目し、植民地統治下台湾における日本、台湾(澎湖)、欧米宣教師の三者間のキリスト教を媒介とした「出会い」及び「交流」の事実を描くことによって、植民地支配下における異文化交流の現実とその問題点を探ることを目的とする。, 第一に扱う事例は、台湾本島にさきがけて占拠された澎湖における、日本軍人キリスト教徒と現地住民キリスト教徒間の交流である。この事例からは、両者間に「親交的」ともいえる関係が成立した経緯を追った上で、相互に対する思惑においては「擦れ違い」があった側面を指摘する。, 第二に扱う事例は、日本教会より日本軍慰問の目的で台湾に派遣された従軍慰問使の、台湾現地キリスト教会との出会い及び交流である。ここでは特に、慰問使の一人であった細川瀏の行程に着目し、その台湾教会及び英加宣教師との交流及び関係構築を描きつつ、慰問使としてのメンタリティーに見られる問題性を検討する。, 日本軍と現地住民が互いに猜疑心を抱いていたこの時期に、キリスト教を介して、台―日―英加信徒及び聖職者間に「親交」関係が構築されたのは興味深いことであった。しかしそれは、いまだ互いに言語疎通もままならない状況において、日本人側の有する「支配者」的メンタリティーが、台湾人側にも宣教師側にも明確には把握されていなかったために可能だったのでもあった。三者間の思惑の擦れ違いは、その後五〇年間にわたる相互の関係において明らかになっていくのである。}, pages = {109--132}, title = {植民地支配、キリスト教、そして異文化交流 : 日本軍による台湾武力制圧における事例より(一八九五年)}, volume = {30}, year = {2005} }