@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000637, author = {李, 省展}, journal = {日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要}, month = {Mar}, note = {本論文は日本帝国主義による朝鮮の保護国化とその後の植民地化という二〇世紀初頭からの東北アジアに新たに出現した政治状況との関わりにおいて、アメリカ北長老派の朝鮮ミッションとその宣教本部が日本と朝鮮との関係をどのように把握していたのかを検討するとともに、宣教との関わりにおいてどのような帝国主義観を有していたのかを明らかにする。また一〇年代から二〇年代にかけての朝鮮ミッションと総督府の関係などを、宣教関連資料を用いて検証するものである。, 二〇世紀初頭に宣教本部セクレタリーのブラウンは、朝鮮の独立に関しては両義的可能性を見出していた。しかし植民地化直前の一九〇九年には、英国、アメリカの帝国主義支配を是認するとともに、その延長線上に日本の朝鮮に対する帝国支配を容認している。また日本との協力関係の確立を言明しているが、これはアメリカの外交政策と軌を一にするものであった。, 一〇年代は朝鮮ミッションと朝鮮総督府との対抗関係が顕在化する時期であった。それは一〇五人事件(「寺内総督暗殺未遂事件」)によるキリスト教勢力に対する政治的弾圧、また「改正私立学校規則」によるミッションスクールに対する弾圧がその背景に存在していた。この時期は日本の帝国支配を是認する宣教本部の姿勢と、現地ミッションの総督府に対する対抗的姿勢の乖離が顕在化している。, しかし二十年代の「文化政治」期に入ると、現地ミッションも総督府の「文化政治」を肯定していく。総督府の要請に応え、宣教師も「文化政治」に協力し、植民地体制へのさらなる適応への道を歩んでいる。これは「武断政治」がキリスト教に抑圧的で、「文化政治」が寛容であるという植民地における政治権力と宗教の関係に左右されていた。しかし宣教本部セクレタリーのスピアに見られるような、帝国主義的膨張の中核にキリスト教を位置づけ、西洋道徳の優位性を主張するとともに、臣民の良心とキリスト教との接触を暴力でもって禁ずるならば、もっとも高度な人類の道徳的権利への攻撃であると見なされるというミッションの文明観と論理が、宣教本部並びに朝鮮ミッションが「武断政治」を批判し「文化政治」を容認する背景に存在していると考察される。, このように総督府とミッションは帝国主義近代への眼差しは共有していたが、アメリカ型近代と日本型近代の根底をなすものの違いが露呈されるのが神社参拝を強要される三〇年代であった。}, pages = {193--215}, title = {アメリカ北長老派による朝鮮宣教と日本の帝国支配 : 二〇世紀初頭から「文化政治」期まで}, volume = {30}, year = {2005} }