@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000647, author = {西槇, 偉}, journal = {日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要}, month = {Dec}, note = {民国期の中国において豊子愷(一八九八―一九七五)は、西洋美術の紹介者として活躍し、また文学者、画家としても知られる。今まで、その絵画作品と竹久夢二(一八八四―一九三四)との関連が様々な見地から論じられてきたが、西洋美術の影響にはほとんど言及されていなかった。本論は豊子愷作品におけるゴッホの影響を明らかにしようとするものである。, まず、「労働」「子ども」「宗教」モチーフにおいて、豊子愷はジャン・フランソワ・ミレー(一八一四―七五)から強い感化を受けた。これらのモチーフをミレーから継承したゴッホも、ある程度豊子愷にインパクトを及ぼした。ゴッホの「二人の子ども」から豊子愷は「姉妹」や「兄弟」を描き、「一足の靴」から「!!!」のモチーフを得たと思われる。, しかし、ミレーとは異なるゴッホ作品独特の用筆法や構図を、豊子愷は取り入れていった。ゴッホ作品の特徴を「鮮やかな色彩のコントラストと奔放な用筆」ととらえた豊子愷は、毛筆の線のタッチを特色とする肖像画作品を描き、鮮明な色彩対照も試みた。その文人画的な肖像画や静物画はゴッホ作品の刺激を受けて誕生したといえる。, そして、人物群像や空間表現にもゴッホ作品との関連が見られる。「馬鈴薯を食べる人たち」の構図が「人散後、一鉤新月天如水」(一九二四年)に用いられ、また「置酒慶歳豊、酔倒嫗与翁」(一九七〇年頃)と類似する。, 人物ポーズや構図をゴッホから摂取しながら、豊子愷作品はしばしば詩句を題とし、文学と結合する傾向を見せる。図像モチーフが文学と出会うことにより、さまざまに再構成され、作品が制作される。それが豊子愷作品の特徴のひとつと思われる。さらに彼は類似モチーフを伝統絵画に求め、それをも創作に加味したり、伝統モチーフを蘇らそうとしたりした。, したがって、ゴッホ作品は豊子愷に多大な影響を及ぼしたといえる。特に、線の表現が豊子愷をひきつけたが、それは文人画に通じるものであり、豊子愷はゴッホ作品に「東洋風な画家」の特徴を見出し、そして伝統を再発見するに至ったのである。}, pages = {91--116}, title = {豊子愷とゴッホ : ゴッホ作品を通しての伝統再発見}, volume = {29}, year = {2004} }