@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000649, author = {岩井, 茂樹}, journal = {日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要}, month = {Dec}, note = {本論稿は、明治時代以降に行われた茶会について論じたものである。特に、その中でも恋歌を掛物として用いた茶会を抽出し、その趣向を明らかにすることを目的とする。その理由は、前論稿で明らかにしたように、恋歌の掛物を用いることは、他の掛物を使用する場合とは異なり、特別な意味を持つと考えられるからである。特に、茶書において千家流茶道は恋歌の掛物を用いることを強く禁じていた。もし、千家流茶道において恋歌が用いられていたならば、それは特別重要な意味をもつと考えられる。本論稿では、明治時代以降の茶会記から見出した十五の茶会と、前論稿で既に解析を行った五例を含め全部で二十の茶会について、その趣向を読み解き、目的別に分類を行った。, 解析の結果、以下の四つの事柄が明らかになった。, ① 掛物が名物であるという理由から、掛物が用いられたケースが最も多い。これは、「恋歌である」という条件よりも、「名物である」という要素のほうが重要視された場合が多かった、ということを意味する。, ② 次に多いのは、追悼の念を表すために用いられたケースである。特に、千家流茶道では利休追善茶会に限って恋歌が掛けられていた。利休追慕の念を恋歌で表現していたのである。千家流茶道にとって、利休追善茶会がいかに特別で、重要なものであるかは、この一事をもって容易に理解できる。, ③ 近代茶道の牽引役であった「近代数寄者」と呼ばれる人々は、千家流茶道を基礎としているにもかかわらず、恋歌を掛けた茶会を開いていた。彼らは、千家流、大名系茶道のいずれとも異なる茶道観に基づき、彼ら独自のスタイルで茶会を行っていたものと思われる。, ④ 千家流茶道で恋歌が禁止された理由の一つとして、女性の茶会進出が挙げられる。江戸時代初期に、徐々にではあるが女性が茶会に参加するようになった。男女同席の茶会に恋歌を掛けるのは不適切である、と判断されたのではないだろうか。, 本論稿では、前論稿を含めてこれまでに明らかになった事実から、千家流茶道、大名系茶道、そして近代数寄者の茶道の性格の違いについても考察を行っている。}, pages = {147--219}, title = {茶道と恋歌(二) : 近代の茶会において}, volume = {29}, year = {2004} }