@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000652, author = {四方田, 雅史}, journal = {日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要}, month = {Dec}, note = {本稿は、第一次大戦前に、日中両国において主要輸出産業であった花筵製造業を分析したものである。同製造業は、中国が世界市場において先んじて発展し、日本が中国の取引慣行を学んで中国に追いつこうとしたため、研究の価値がある興味深い題材である。本稿は、その特徴を仔細に比較するため、とりわけ各国の主要産地である岡山・福岡・広東に焦点を当てる。, これまで、日本と中国は、アメリカの花筵市場において、熾烈な「アジア間競争」を経験したと考えられてきた。しかし、その競争を仔細に分析した結果、日本と中国はその市場で直接競合していたのではなく、異なる品質・デザインの製品を生産するという”差別化”戦略を採用したことが分かる。その違いの一部は、生産者・国内商人・外国人輸出商間の経済取引を組織化していた諸制度の違いに帰すことができよう。そのため、本稿は、両国の経済制度と経済的パフォーマンスが対照的になった理由を論じなければならない。, 領事報告の記述を仔細に分析することによって、両産地の取引を規律づけている制度に対照的な違いがあることが明らかになった。その報告には、中国の生産者・商人が約束・契約を遵守する傾向がある一方、日本の生産者・商人は契約を遵守しないとの指摘が頻繁に見られる。広東では、集団として行動する同業者組織に代表される懲罰メカニズムが生産者・商人に契約を遵守させたことが考えられる。その結果、中国は画一的で標準化された花筵の生産に比較優位を持った。その反面、広東に存在したメカニズムが存在しなかった日本では、中国と比べ、粗製濫造と無秩序な取引とが広範に見られ、それらの問題を解決し商業秩序を再構築するため、産業界と政府が、新たに同業組合を組織し輸出品検査を導入する上で協力することになった。このような制度的特徴によって、日本は多様なデザイン・種類の花筵の生産に比較優位を持つようになったのである。, 本稿で指摘したさまざまな特徴は、各産地の中で相互に連関しあい、相互に補完的であったと結論づけられる。そのため、日本と中国の違いは、第一次大戦以降に至るまで、収斂することはなかったと考えられる。}, pages = {277--299}, title = {戦前期花筵製造業をめぐる日本・中国間制度比較 : 日本の領事報告の分析を通じて}, volume = {29}, year = {2004} }