@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000666, author = {エルマコーワ, リュドミーラ M.}, journal = {日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要}, month = {Mar}, note = {本稿の目的は、ある偶然をきっかけにして発見されることになった一つの歴史的資料、すなわち一五八二年に長崎から出帆しヴァチカンを訪ねローマ教皇の謁見を賜った遣欧一行の一人による自筆の書、について紹介することである。これは赤い紙に一六世紀のスタイルで書かれた書であり、そこには旧約聖書の詩篇からとられた二つのダビデの聖歌の一部がラテン語と日本語両方で記されている。, この資料を見つけ出した経緯は以下の通りである。九州の天草にある天草コレジオ館所蔵本の中に、同館が十年前に東京の古書店から購入した一六世紀イタリアの書物があった。ところが、この古書の中にポーランド語で書かれたメモのようなものが偶然見つかったのである。そして、このメモが本稿の筆者のさらなる探索を可能にした。, やがて、聖書からの断片の和訳が行われたのはローマのヴァチカンにおいてであり、それがポーランド国王の使者ベルナルド・マチェヨフスキー(後のルーツク司教、その後枢機卿)の依頼によるものであったことが明らかとなった。これが日本人とポーランド人との歴史上初めての接触であったことは充分に考えられる。, マチェヨフスキーは一五八六年にポーランドへ帰国する際にこの日本語の自筆の書を持ち帰った。そして一五九九年にこの歴史的資料は、マチェヨフスキーの命によって彼のイニシャルと紋章をあしらった銀製の額におさめられてクラクフ・アカデミーに寄贈された。また、額の裏面には資料の来歴が刻まれていた。しかし、長年の間にこの自筆の書は所在不明となり、この資料の存在も、また日本人とポーランド人との接触に関する記憶も人々の間から失われてしまったのである。, しかし、資料の探索を始めて一年半後に、この銀製の額におさめられた自筆の書がクラクフのヤゲロン大学図書館書庫に保管されていることが明らかとなった。本稿ではこの資料の内容を公表するとともに、資料発見のいきさつと、この資料の成立にかかわる人物、そして日本、ポーランド、ヴァチカンの歴史的な状況について概略的に述べるものとする。}, pages = {71--90}, title = {天正遣欧使節とポーランド : 隠された絆}, volume = {27}, year = {2003} }