@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000668, author = {李, 哲権}, journal = {日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要}, month = {Mar}, note = {拙論は、漱石的エクリチュールが有する強い傾向性を、具体的なテクスト解釈を通じて明らかにしようとしたものである。, 漱石の初期テクストにおいて、見ようとする意志はそのまま描こうとする文体的衝動と化してしまう。その衝動はあまりにも豊富な素材源とあまりにも強力な顕示欲を有していたために、しばしば自己陶酔の境地に陥ってしまい、筋やプロットを犠牲にしたりすることをも潔しとした感がある。漱石の場合、この犠牲と無視は無意識的なものではなく、きわめて意識的な自己言及にも等しい文芸理念――「出来る丈長く一所に佇立する趣味」(または「低徊趣味」「依々趣味」「恋々趣味」とも呼ぶ)によるものである。したがって、漱石的エクリチュールは、単なる「余裕派の文学」というレッテルを貼って片付けてしまうべきものではない。というのは、文体的衝動は一朝一夕にできあがらないのと同様に、それに嫌悪を覚えたからといって、一朝一夕に脱ぎ捨てられるものではないからである。それを脱ぎ捨てるためには、それを身につけるために払った何倍もの努力と苦痛と焦燥と自暴自棄を味わわなければならない。漱石的テクストは、そのような苦悩のエクリチュールがなぞる紆余曲折の軌跡として読むことができる。}, pages = {111--141}, title = {漱石とエクリチュール}, volume = {27}, year = {2003} }