@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000684, author = {孫, 才喜}, journal = {日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要}, month = {Apr}, note = {本稿では太宰文学の前期から中期の半ばまでに多く書かれた作品群、すなわち作中人物として作家、または作家「太宰」が登場し、作中で創作に対する苦悩、探求の様子を物語った「創作探求の小説」を中心に、作家の虚構理念、虚構意識、創作方法、文学観、自然観などの分析を行った。『ロマネスク』における「切磋琢磨」された「嘘」や、『めくら草紙』にあらわれている「鉄の原則」化された「巧言令色」は、ともに虚の世界に創造力を極大にし、「人工の極致」の境地を目指すものであった。すなわち同じく虚の世界である小説にリアリティを保証しようとする作家「私」の創作上の方法論であり、虚構理念である。これに芭蕉俳諧における「風雅の誠」との深い関わりがあったことは明らかである。  『HUMAN LOST』は太宰文学において最初に聖書が引用されたことだけでなく、キリスト教徒の関わりがもっとも濃密な作品の一つといえる。作家「太宰」は人の子としてのキリストや、聖書の言葉のもつ創造性に注目し、作家「太宰」と創造者キリストとの重層化を通して新たな文学を見出している。聖書は「太宰」にとって最良の文学書であり、最高の文化である。そして聖書が不可視的「自然」と見なされている観点には、ヘーゲル的なドイツ観念論の影響が受け取れる。「太宰」の二十世紀の文学はそのような「自然」、文化の再認識に基づき、それらを再構築することであり、ここに太宰文学の新たな試みがある。  『HUMAN LOST』の脱稿直後に書き直された『二十世紀旗手』には、作家「太宰」の聖書とキリストとの交渉が直截な表現で語られた『HUMAN LOST』に対して、作家「太宰」と神との出会いやロマンスがより劇的で象徴的に語られている。二十世紀の旗手になりたい作家「太宰」の「神域犯し」から神との接点とそのロマンスははじまる。神による万物創造は「言葉」によるもので、言葉によって作られる文学においても、言葉の創造性を生かすことで文学の可能性が拡大されるのである。神の天地創造の機密、「天機」を領会することで、作家として文学的創造に挑もうとする意志、願望が神への恋とロマンスとしてあらわれており、その対象が神であるが故に「むづかしき一篇のロマンス」とされ、「かなしきロマンス」の裏面に潜んで存在するのである。なお、神とのロマンスは『二十世紀旗手』のなかで完結されることなく、作家太宰の文学的な営みとともにこの作品の外側に開かれたものになっているのである。  昭和初年代、私小説やジッドの「小説の小説」に対して意識的に関わることから出発した太宰文学は、自ら逢着していた創作上の諸問題の打開の試みをその創作のなかで行うことによって、「創作探求の小説」が多くあらわれたといえよう。この「創作探求の小説」は私小説と「小説の小説」の両者を方法化することによって可能になったものである。またドイツ観念論や芭蕉俳諧、聖書などとの受容のなかで太宰文学が成立していることも明らかにしえたと思う。}, pages = {149--187}, title = {太宰文学における虚構意識 : 前期と中期の作品を中心に}, volume = {25}, year = {2002} }