@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000686, author = {久米, 高史}, journal = {日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要}, month = {Apr}, note = {本論文は、幕末維新期において輸入綿布と在来綿布が競合し、それによって国内綿織物業の再編成が進んだのか否かという、これまでの学会の論争を踏まえた上で、国産綿布と輸入綿布の使用価値の差異から輸入綿布の「外圧」そのものを否定する川勝説を再検証しながら、その事例研究として、品質が似ているがゆえに明確に競合したと言われている、和泉木綿と輸入生金巾との間の関係を、価格と品質の両面から再検討したものである。  価格分析については、新発見の岸和田市郷土資料室蔵の前田家文書のデータを加え、『横浜市史』のデータの修正(F.O.B.価格からC.I.F.価格への修正、さらに銀円表示から紙幣価格への修正)も行った結果、和泉木綿の価格が生金巾の価格を上回るのは、輸入綿布の圧力が弱まった明治一〇年代以降であり、圧倒的な価格差でもって輸入生金巾が国内に流入してきたと言われている明治元年~一〇年では、むしろ和泉木綿の方が安価であったことを実証した。  また品質についても、使用されている糸の番手および糸の打ち込み本数を比較した結果、薄手の木綿だからといって品質や用途が必ずしも同じであったとは言えないことを実証した。実際の市場での動向までは史料不足のため実証できなかったが、これは今後の課題としたい。  そこで、今度は泉南郡織物同業組合など、いくぶんデータの管見できる生産量に着目し、そのデータの読み方について、「和泉木綿は明治初年代には停滞ないしある程度の生産の減少を経験した」と結論づける谷本雅之氏の結論を批判し、そのような結論が早計であると論じた。  以上のような実証から、和泉木綿と輸入綿布との間には直接的な競合関係はなく、むしろ明治一二年の大阪商法会議所の答申に見られるように、輸入綿布の直接の競合相手は下級絹織物ではないかと思われる。なお、本稿では史料の制約上、和泉木綿の市場動向の分析にまでは立ち入れなかったが、この点については、また別稿にて論じる予定である。}, pages = {223--239}, title = {幕末維新期の「外圧」と和泉木綿}, volume = {25}, year = {2002} }