@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000692, author = {森本, 一彦}, journal = {日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要}, month = {Feb}, note = {本稿では一七世紀における楡俣村の宗門改帳を基礎資料とする。初期における宗門改帳の性格と楡俣村の村落関係を検討する。  ①  書記の表題は五家組が宗門改帳の作成の中心であったことを意味している。  ② 「宗門改帳」から「宗門人別帳」への表題の変化は、人別帳が影響していた。  ③  宗門改帳の分析を通じて、宗門改めが常におこなわれたと推測した。しかし、宗門改帳が毎年作成され提出されたかどうかは疑わしい。  ④ 記載単位である「壱家」の増減には、宗門改帳の記載方針が関係していた。  ⑤ 一七世紀の宗門改帳の記載単位には年貢納入単位が反映していた。  ⑥ 人数の変化には、宗門改帳の記載基準が影響していた。基準の一つとして年齢があった。代官の交替時に人数が少なく書かれた。  ⑦ 年齢記載は、寛文五年以降に見られる。異なった宗門改帳に記録されている年齢は矛盾するが、これには代官の交替が関係している。  印判の分析を通じて、初期徳川日本の宗門改帳が村役人を中心にして作成されていたことが分かる。代官は宗門改帳の厳密さを要求しなかった。一七世紀における宗門改帳は、歴史人口学のデータには適さない。しかし、不完全な宗門改帳が作成されねばならない理由を考えることを通じて、支配や村落の関係を考察できる。一八世紀に向かって宗門改帳は厳密さを増していった。}, pages = {55--85}, title = {近世初期における宗門改帳の記載様式 : 美濃国安八郡楡俣村の事例}, volume = {24}, year = {2002} }