@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000699, author = {蔡, 敦達}, journal = {日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要}, month = {Mar}, note = {鎌倉時代末から室町時代にかけて、京五山・鎌倉五山をはじめとする禅宗寺院では、中国文化への憧憬・宗教的需要・修行環境の美化などの点から境致、特に十境の選定が盛んに行われた。しかし、十境は日本の禅院に発生したものではなく、南宋以降、五山をはじめとする中国の禅院で行われていたのである。, 禅院の十境選定に与えた「十詠」「十題」の影響は見逃すことができない。当時、「十詠」「十題」といった形の詩や偈が文人・禅僧を問わず広く作られていた。禅僧による禅院の十境選定もこうした影響を受け、文人らとの交流を通じて作り出されたものと考えられる。, 中国で派生した瀟湘八景図や八景詩が入宋僧・入元僧や渡来僧によって日本に将来されると、八景図も八景詩も一種のパターンが形成されていった。日本の禅僧はこの様式をもとに「○○八景」を選ぶようになり、やがてこうした「八景」選定のパターンが禅院の境致の選定にも移植されていった。十境と同じく、禅院の八景も境地選定の一種だと考えられる。, 日本の禅院の十境選定は、初期の頃、渡来僧や入元僧を中心に導入されたが、その後の日本の禅院への普及には、日本の禅僧の果たした役割が大きい。また、『扶桑五山記』や『宗派目子』などには、五山だけでなく、十刹・諸山にも十境の記述が見える。すなわち、十境は五山・十刹・諸山など、等級の別なく選ばれており、その選定には渡来僧や入元僧あるいは日本の高僧が加わっていた。さらに、十境は「天造地設」のものではなく、禅僧の「胸次」を表すものだったのである。, 本稿は「十詠」「十題」「瀟湘八景」に、禅院の十境・八景選定のルーツを求め、その日本の禅院における発達を論じてきた。しかし、塔頭や林下、それに曹洞宗の禅院における十境の選定については、さらなる検討が必要である。}, pages = {13--51}, title = {日本の禅院における中国的要素の摂取 : 十境を中心として}, volume = {23}, year = {2001} }