@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000714, author = {武光, 誠}, journal = {日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要}, month = {Oct}, note = {古代日本の太政官制は、十世紀前半に大きく変えられているが、この論文は、最近の研究をとり入れつつ、そのことの意味を考えたものである。律令にさだめられた太政官の制度は、いくつかの官吏がそれぞれの権限に従って政治を分担するものであった。ところが、その方式が十世紀前半までに、十人ていどの上卿が、集団で政務を分担する形にかえられていった。このような転換は、九世紀はじめに外記政の形の太政官政治がつくられ、そこで南所申文が始められたことをきっかけにおこった。このとき、外記宣旨が出されるようになった。この動きとともに、所々が太政官にかわって政治を担うようになっていった。さらに、九世紀末に陣申文がはじまり、弁官宣旨がうまれた。そして、十世紀前半の藤原忠平のもとで、上卿が国政を分担し、彼らが弁官宣旨の形で命令を発する形が確立していった。この動きを明らかにしたのが、この論文である。}, pages = {141--150}, title = {<研究ノート>弁官宣旨と上卿}, volume = {22}, year = {2000} }