@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00007347, author = {カウテルト, ウィーベ}, journal = {日本研究, NIHON KENKYŪ}, month = {Oct}, note = {日本から東インド会社を通じて輸入された高価な陶芸・染織品・漆工芸品などの珍品は、17世紀後半に北西ヨーロッパ貴族たちの手に渡り、とりわけ日本の着物は大人気を博した。また、漆工芸においては豪華に装飾された蒔絵簞笥が驚くほどの高値で販売された。これらの珍品にみられる日本美はウィリアム・テンプル(一六二八~一六九九)によって「シャラワジ」(sharawadgi)として紹介され、「シャラワジ」はイギリス風景式庭園の発展のきっかけになる言葉になった。本論では、この日本美の伝播経路と、江戸期の「洒落」と「味」の美学、現在の「しゃれ味」とのかかわりに迫ってみた。鍵なる人物は、オランダ人の文人ホイヘンス(一五九六~一六八七)と商人ホーヘンフック(?~一六七五)であった。これまで300有余年、謎の言葉であった「シャラワジ」を、当時のエッセイ、貴族の手紙や日本工芸品から解明し、江戸時代の工芸家の「しゃら味」の美学であると結論付けようとするものである。, この「シャラワジ」という言葉は、日本工芸品を通じてヨーロッパ貴族層の異国美意識の形成に大きな意味を持ったに違いない。すなわち東インド会社がもたらした日本工芸にしみ込んだ洒落味が、ヨーロッパの応用芸術である判じ絵エムブレマタ(emblemata)の美的働きに重なった。しかも、商人によって紹介された工芸美は富裕層のあいだで庭園を舞台として新しい自然観の発展にも通じるようになったのである。ヨーロッパ庭園は応用芸術として発達しながら、日本の工芸家からデザインのインスピレーションを受けた。いかに日本からの情報がヨーロッパ啓蒙を支えたのかを改めて認識した次第である。}, pages = {7--35}, title = {<研究論文>日本人ヨーロッパ庭園 : 「シャラワジ」を求めて}, volume = {59}, year = {2019} }