@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000737, author = {霍, 巍}, journal = {日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要}, month = {Jun}, note = {奈良県黒塚古墳の発掘によって、大量の三角縁神獣鏡が出土した。しかし、三角縁神獣鏡のルーツを考える上で、これまで全く見過ごされてきた重要な銅鏡が存在する。それは三段式神仙鏡である。本稿はこの三段式神仙鏡のルーツを考察することによって、紀元三世紀の日中の文化交流史に新たな解釈を加えるものである。  三段式神仙鏡は、中国後漢・六朝時代と日本の古墳時代の副葬品に埋蔵されている。それは鏡の中央の紐を挟む平行な日本の線によって、鏡の内区を三段に分け、上・中・下各段に神仙図を配するものである。一般に神獣鏡の一種類として認識されている。  従来の研究者たちは、紀元三世紀頃の中国大陸と日本との交流を議論する場合、三角縁神獣鏡を重視し、それを倭女王卑弥呼が魏王朝と通交していたことを示す動かぬ物証であると指摘してきた。だが、本稿では三段式神仙鏡の出土地の、図像的な比定や、鏡銘文字の解釈などから、この三段式神仙鏡は中原地域の魏鏡ではなく、また長江中・下流域の呉鏡でもなく、実は長江上流域川西平原の「西蜀広漢」で鋳造した「蜀鏡」であると断定した。また、三段式神仙鏡を含む、この時代の神獣鏡、画像鏡の中に描かれている、「西王母」を中心とする「神」と竜虎を中心にする「獣」の宗教的意味を追究することによって、道教的・呪術的な性格が著しく強い鏡であることが指摘できる。さらに日本列島の倭国の女王卑弥呼は「鬼道」という新たな宗教祭祀を導入してきたと同時に、道教もその新宗教祭祀の道具として中国から導入したと考えることが可能である。長江流域から道教の生産技術、その宗教的意味、図文模様などが日本に伝来し、その中に長江上流域の文化要因が含まれていたと考えることができる。  三世紀以来、東アジア国際関係を全面的に観察すれば、むしろ黄河流域、長江流域と古代日本の相互関係を「大三角関係」と認識する方が適当であり、特に長江上流域からの影響を軽視すべきでないといえる。}, pages = {35--52}, title = {三段式神仙鏡とその相関問題についての研究 : その日中文化交流史における位置づけを考える}, volume = {19}, year = {1999} }