@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000738, author = {時田, アリソン}, journal = {日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要}, month = {Jun}, note = {小論は日本の語り物の歴史的変化のプロセスというより大きな枠組みの中にある。一中節と常磐津節それぞれの性格を論ずるというよりも、三味線を伴奏楽器とし、歴史関係も近いこの二つのジャンルの間で、どんな変化がおきたかを論ずるものである。平曲、義太夫節、常磐津節などの語り物の歴史では、後のジャンルが古いジャンルの特徴を失わず、むしろその特徴を多様にしたということがはっきりと見て取れる。十七世紀に浄瑠璃が人形芝居に入り義太夫節として発展し、常磐津節が歌舞伎舞踊の伴奏音楽として成立した時にも、先行ジャンルの性格が受け継がれて保持されるとともに、新しい性格もそこに統合された。一中節は、義太夫節と同じ時期に、都太夫一中によってはじめられ、そこから分かれた宮古路豊後掾が豊後節を語ったが、一七三〇年代に数回にわたって禁止され、その弟子常磐津文字太夫が引き継ぎ、常磐津節を確立した。小論は一中節と常磐津節の音楽を分析することによって、どのような音楽的性格が共有されているか、どこに主な違いがあるかを明らかにするものである。  比較分析のために、常套的音楽素材formulaic musical materialという概念を使う。それは、曲の各レベルに見られるもので、曲そのもののレベルでは曲種として、小段のレベルでは語り口として、フレーズのレベルでは、旋律型としてあらわれる。  分析により、この二つのジャンルの小段構造は同様であるが、常磐津節の方が一中節よりも、音楽表現のバラエティがあることを明らかにする。小段そのものの違いが大きく、曲の進行上、あるいは構成上の性格もことなっている。さらに、常磐津節は多様な語り口を持つようになった。  その理由はさまざまだが、常磐津節がその中で発展した歌舞伎舞踊形式からの要請が、もっとも大きな要因だった。このため、音楽としての、また舞踊としての構成がくっきりしたものとなった。  しかし、一中節を特徴づける語り口に含まれる旋律型は、常磐津節にも受け継がれ、やはり常磐津節を特徴づける語り口を作っている。とくに、曲のはじめの小段に使われる『オキ』という語り口がそうである。日本の語り物には、曲のはじめにより古い語り口を保持する、あるいは曲のはじめに平曲や謡のような古いスタイルを引用し、連続性を示すという現象がみられるが、これはその傾向に合致するものである。}, pages = {53--78}, title = {一中節から常磐津節へ : 語り物の音楽的変容と連続性}, volume = {19}, year = {1999} }