@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000745, author = {高橋, 美由紀}, journal = {日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要}, month = {Jun}, note = {近世大都市で人口が高水準に維持できたのは、高死亡率を打ち消す流入人口によると考えられている。日本の徳川期(一六〇三―一八六八)の人口は大都市では停滞したが、いくつかの小さな町においては急速に増加した。, この論文では、日本東北部に位置する「郡山上町」」という小さな町の人口が、徳川時代を通じてなぜ着実に増加したのかを検討する。近隣の農村では一八世紀後半に人口の減少を経験し、その後徐々に回復をしているという状態であるのに、この町では一七二九年の人口が約八〇〇人、そして一八七〇年には約二六〇〇人へと増加した。, 人口増加の要因には自然増加と社会増加の二つがある。自然増加は出生数と死亡数の差である。郡山上町の死亡率は都市について考えられるような高い値ではなかった。一八〇〇年以降の自然増加数は正であることが多いが、人口を増加させるという効果はそれほど大きくはなかった。これに対し、流入人口と流出人口の差である純流入(社会増加)は大変大きかった。, これらの二つの理由が結合して、郡山上町では徳川時代末まで人口が持続的に増加した。}, pages = {241--263}, title = {<共同研究報告>都市化する郡山上町 : 人口増加の内容}, volume = {19}, year = {1999} }