@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00007483, author = {鄒, 双双 and 野田, 敦子}, journal = {日本研究, NIHON KENKYŪ}, month = {Mar}, note = {本稿は、林芙美子における戦前から戦時の中国での翻訳状況を、全体的に調査し叙述したものである。翻訳作品の特徴などの他、看過されてきた翻訳者と編集者との交流、全集年譜の検討すべき点を提示した。調査をするにあたり、中国のデータベース「全國報刊索引」と「大成老舊刊全文數據庫」を主に用いた。その検索結果の一点一点を中国語から日本語にし、原作とその初出を照査して「翻訳作品一覧表」にまとめた。また掲載雑誌に関する詳細な情報も「訳文掲載誌の基本情報一覧表」にまとめている。これらに基づき、時間の流れに沿って叙述した。, 林芙美子の作品は、1931 年に崔萬秋訳の「放浪記」を皮切りに次第に中国で訳され、読まれるようになった。1930 年代前半は短編にとどまったが、1936 年は、林芙美子という人の紹介になる自伝的作品と連載小説も確認できた。全面戦争開始後、林芙美子は従軍作家であったため、小説よりもルポや自叙伝等の作品が多く認められた。そのうち、完全な占領を免れていた時期(1937︲1941)の上海が発行地であった雑誌に掲載された作品は、掲載点数はわずかではあったが戦争に感傷的であり抗日を促す描写が見受けられた。作品の多くは日本占領地域発行の媒体に掲載され、侵略への理解や日本文学の称揚、日本人に親近感をもたせようとする要素のあるものであった。, また翻訳状況の解明に加えて、「放浪記」訳を通じた林芙美子と訳者崔萬秋、編集者曾今可との交流も書簡等から具体的に明らかにし、日中文人交流の一側面を照らし出した。さらに一連の調査では、『林芙美子全集』未収録の陶志誠訳「北平之秋」も確認できた。同資料からは1936 年に林芙美子が改造社の嘱託で北京に訪問していたことが判明した。これにより北京滞在期間を含め、年譜的事項を補訂する必要性も明らかとなった。}, pages = {193--219}, title = {<研究ノート>中国における林芙美子の翻訳状況(戦前・戦時) : 附:「翻訳作品一覧表」「訳文掲載誌の基本情報一覧表」}, volume = {60}, year = {2020} }