@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000750, author = {長田, 俊樹}, journal = {日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要}, month = {Jun}, note = {筆者はこの『日本研究』に「ムンダ民族誌ノート」を連載しているが、今回は日本における稲作文化と畑作文化の区別について論じる。なぜなら、稲作文化論や畑作文化論のなかで、ムンダ人のケースが言及されることがあるからだ。  われわれの疑問点はふたつある。ひとつは共時的な問題で、もうひとつは通時的な問題である。さいしょの質問は、この稲作文化と畑作文化の区別は普遍的なものなのか。二番目の質問は、雑穀作焼き畑から稲作水田へという進化図式は例外なくおこるのか。このふたつである。いずれも、ムンダのケースなどでは否といわざるをえない。では、どのようにかんがえるべきか。  そのこたえとして、共時的にいえば、安室が提唱する理論をあげることができる。安室は日本民俗学を専門とするが、この理論は複合生業論とよばれている。複合生業論によれば、生業は単一ではなく、複合的であるとされる。つまり、稲作文化と畑作文化が対立するのではなく、相補的にある場合を想定する。この解釈はムンダ人のケースにもあてはまるのである。ただ、この理論は共時的な視点としては有効であるが、通時的な問題はこれから解決されなければならない。}, pages = {412(1)--388(25)}, title = {<研究ノート>ムンダ民族誌ノート(3) : 稲作文化・畑作文化・複合生業論}, volume = {19}, year = {1999} }