@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000759, author = {佐藤, 正幸}, journal = {日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要}, month = {Sep}, note = {人が「年」を認識することは、順序数をただ並べるだけの単純な行為ではなく、極めて政治的・歴史的な知的行為であり、何よりも文化的な行為である。  年号と干支による紀年法は、紀元前二世紀の中国で考案されて以来、東アジアにおいては、二〇〇〇年以上にわたって使われ続けてきた。これは理論的にも優れた紀年法であり、かつ東アジア世界の存在様式に応じた政治的・社会的・国際関係的役割を果たしてきた紀年法であった。  一方、キリスト教紀年法は、ディオニシウス・エクシグウスによって六世紀に創案されたが、ヨーロッパ社会で使われるようになったのは、一六世紀後半以降である。また、キリスト教紀年法は、理論的に幾つかの欠陥を持つにもかかわらず、現在、世界共通の紀年法として実際に機能している。  にもかかわらず、二〇世紀以降、キリスト教紀年法が、日本をも含めた非キリスト教圏に広まったのは、西洋文明の世界的波及という事実に加えて、キリスト教紀年法が通年紀年法であることと、「紀元前」という新しい概念を導入したことで、脱宗教化が行われ、近代的知の展開に対応できるようになったからである。  本稿では、日本の歴史のなかで「年号と干支による紀年法」が果たした役割を、「キリスト教紀年法」との比較を通して検討する。}, pages = {177--204}, title = {<共同研究報告>日本における紀年認識の比較史的考察}, volume = {18}, year = {1998} }