@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000764, author = {鈴木, 貞美}, journal = {日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要}, month = {Feb}, note = {本稿は、西田哲学を二〇世紀前半の日本に擡頭した「生命」を原理におく思潮、すなわち生命主義のひとつとして読み直し、その歴史的な相対化をはかる一連の試みのひとつであり、”NISHIDA Kitaro as Vitalist, Part 1―The Ideology of the Imperial Way in NISHIDA’s “Problem of Japanese Culture” and the Symposia on “The World-Historical Standpoint and Japan” (“Japan Review” No. 9, 1997)の続稿にあたる。  『善の研究』が成立するまでの西田幾多郎の思想を、同時代の思想状況のなかにおいて読み直し、その骨格をなす考えが、どのようにかたちづくられ、また、時代思潮に対してどのような特徴をもつか、そして時代思潮に対してどのような役割を果たしたか、を明らかにすることを目的とする。『善の研究』は明治二〇年代の「国粋保存主義」の擡頭期に思想基盤の形成がなされていること、いわゆる近代的自我の煩悶が知的青年層に広がってゆく時代に応えるための哲学であったこと、とりわけ近代自然科学の展開によって一般化した主客対立の観念を人間疎外ととらえ、二〇世紀初頭の西ヨーロッパおよびアメリカの哲学の関心が「意識」に向かっていることを敏感に受け止め、その疎外を克服するために「純粋経験」を哲学の始原にすえることによって機械的唯物論を超える哲学の体系を企てたこと、「『我』の思想」、「愛の理念」、「宗教の本質」などをめぐる西田の考察の内容は、陽明学や禅を中核にしつつ、浄土真宗、キリスト教神秘主義、トルストイの宗教思想、カントに発するドイツ観念論の流れに属する諸思想、遺伝学・進化論などの生物学の知識とを一挙に自分流に統合して、「純粋経験」から「神との瞑合」に至る概念の体系化を試みたものであることなどを明らかにする。最後に、その体系が観念によって保持されていることを明らかにして、『善の研究』の核心部に生命主義があると結論づける。}, pages = {87--136}, title = {西田幾多郎『善の研究』を読む : 生命主義哲学の形成}, volume = {17}, year = {1998} }