@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00007662, author = {大野, ロベルト}, journal = {日本研究, NIHON KENKYŪ}, month = {Mar}, note = {明治の近代化と共に出発した日本古典文学の翻訳・紹介の実際については未だ整理されていない部分が多い。とくに『土佐日記』に関しては、メソジスト監督教会の宣教師の妻であったフローラ・ベスト・ハリス(1850 ~ 1909)による2度の英訳出版(1891年、1910年)があることはすでに指摘されているものの、その内容や翻訳者の実像についての研究は皆無に近い。そこで本稿ではハリスの生涯の歩みを概観しつつ、『土佐日記』英訳というその重要な業績について、可能なかぎり明らかにすることを目的とする。  ハリスの経歴については、唯一のまとまった伝記である山鹿旗之進『はりす夫人』に拠りながら、夫のメリマン・コルバート・ハリスの宣教師としての活動を記録した資料などを補助的に用いて跡づけた。その過程で、すでに知られている2種の英訳『土佐日記』よりも以前に、横浜で発行されていた英字新聞『ジャパン・メイル』にもハリスによる『土佐日記』が掲載されていた可能性が示唆されたが、これは先行研究では特定されていなかったものである。調査の結果、連載は1882年1月から3月にかけて、7回にわたり続いたことがわかった。『土佐日記』英訳の「ことはじめ」は、これまでに明らかになっていたよりも9年ほど早かったことになる。  記念すべき業績を残したハリスではあるが、その訳業は、その存在ともども、忘却の淵にあるのが実情である。それはハリスが宣教師の妻として伝道活動や教育、慈善に熱心に取り組んだ人物であり、必ずしも文学を優先したわけではないこととも無関係ではないだろう。だがそれ以上に、ハリスが女性であったがゆえに独立した学者とは認められなかったこと、メソジスト監督教会の関係者以外とつながりを持つ機会に恵まれなかったことも、その原因となっていることは間違いないのである。}, pages = {69--91}, title = {<研究論文>『土佐日記』英訳ことはじめ : フローラ・ベスト・ハリスの業績}, volume = {62}, year = {2021} }