@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00007755, author = {廣田, 龍平}, journal = {日本研究, NIHON KENKYŪ}, month = {Oct}, note = {本稿は、キツネをめぐる世間話を題材として、アニミズムおよびパースペクティヴィズム理論を参照することにより、日本におけるヒトと動物の関係性の根底にある諸存在論を明らかにすることを目的とする。キツネが人間に変身したり(「化ける」)、ヒトの知覚を操作したりする(「化かす」)妖狐譚は、日本における非西洋近代的な存在論を明らかにするにあたって重要な資料になると考えられる。しかしこれまでは、ほとんど総合的な議論がなされてこなかった。それに対して本稿では、「変身」概念を中核に据えるアニミズムおよびパースペクティヴィズム理論を採用することにより、それらの理論が依拠する北アジア・南北アメリカの狩猟アニミズム世界とキツネの妖力を構造的に比較できることを示す。アニミズムにおいては、ヒトも動物も同じような霊魂を持ち、同じような文化を持つが、身体が異なる。そのため身体を変えることにより、ヒトが動物に、動物がヒトに変身することが可能になる。またパースペクティヴィズムは、身体に由来する観点の差異化により、種によって知覚される世界が異なってくることを前提とする。これらの枠組みを採用することにより、妖狐譚がうまく理解できるようになる。  本稿の中心的関心は、妖狐譚に見られるヒトと動物の関係性が、狩猟アニミズムと比較すると、構造的に反転しているという点である。狩猟アニミズムにおいてはヒトが「衣服」を身に着けて動物に変身するのに対し、妖狐譚においてはキツネが髑髏や藻などを身に着けて人間に変身する。また、狩猟アニミズムにおいてはヒトのシャーマンや精霊が、それぞれ動物や通常のヒトの観点を操作するのに対して、妖狐譚においては、キツネがヒトの観点を操作する。こうしたことから、日本のキツネは狩猟アニミズム世界におけるヒトのシャーマンや狩人の対称的反転であり、それが日本的な存在論の特徴であることが結論付けられる。}, pages = {85--111}, title = {<研究論文>シャーマン=狩人としての動物 : 世間話における妖狐譚を構造分析する}, volume = {63}, year = {2021} }